日本ハムファイターズで活躍していた元プロ野球選手(投手)の「南竜次」さん。
夏の甲子園大会では全国制覇を成し遂げ、1990年に日本ハムからドラフト4位で指名されて入団しましたが、肘の故障などにより思うような投球ができず1997年に日ハムを退団しています。
その後もアメリカの独立リーグで挑戦するも1年で退団し、野球人生にピリオドを打ちました。
けれども、その後の南さんは野球の世界ではなく、今度はビジネスの世界で大きく羽ばたくことになるのです。
ここではプロ野球選手から転身を果たした南さんの話です。
名前:南竜次(みなみりゅうじ)
生年月日:1972年6月26日(46歳)
職業:元プロ野球選手、経営者
出身:大阪府高石市
学歴:天理高等学校
Sponsored Links
野球にピリオドを打った南竜次さん、求人情報誌を片手にアルバイトを探し、最初は引っ越しのバイトを始めました。
しかし、しばらくして灯油の巡回販売員の方が時給が良かったこともあり、地元の大阪で車に乗りながら灯油を売っていたのです。
この灯油販売が予想以上に好調で、アルバイトながら月収は50万円~60万円にもなりました。
しかし灯油販売は冬季限定…
夏場に出番はなく、1999年3月から灯油販売会社の社員となり、その会社が請け負っていたエアコン据え付けの仕事を名古屋で始めるようになったのです。
エアコン設置は灯油と正反対で夏場がピークです。
大手家電量販店からの依頼を受け、多い時には1日10台の取り付けを行ったこともあったと言いますが、当時は結婚したばかりということもあり、南さんは必死に働きました。
その甲斐あって、南さんは店長、さらには東海地方の支店を束ねるブロック長に昇進していきます。
そうして仕事の手応えをつかんだ南さんは2005年に独立を決意…
「株式会社AIRECサービス」(愛知県名古屋市南区呼続五丁目2番30号)を立ち上げました。
独立後、AIRECサービスはどんどんと売り上げを伸ばし、最初は5人だった社員数が80人にもなり、売り上げも9億円まで膨らみます。
さらに、2015年からは同じく名古屋市に鍋料理を中心とした飲食店「KARAKARA笠寺店」(愛知県名古屋市南区戸部町1-40-1)をオープンし、飲食事業にも乗り出しました。
その結果、南さんの収入もプロ野球選手の頃の数倍に跳ね上がったと言います。
ちなみに1995年の日本ハムファイターズ時代の南さんの年俸は750万円ほどで、そこから考えると大体年収は2000~3000万円くらいになるのではないでしょうか。
ただ、南さんの経営理念として、
会社が儲かっても従業員を大事にしない会社は成長しない。今、うちの社員の半分ぐらいは年収1000万円以上あります。つらい仕事ですが、やればやった分だけ稼げる。それが仕事だし生きがいにもなる。
と語ってており、社員に稼いでもらうことをモットーにしている様子が伺えます。
現在、AIRECサービスのエアコン設置台数は、東海・関西地方を中心に累計で10,000台を超え、ますます増えていると言います。
肘の故障もあり、野球選手としては満足のいく結果が出せなかったかもしれませんが、今や野球選手の頃以上に新たな世界で羽ばたいている南さんなのでした。
Sponsored Links