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ヒロミ(B21)におきた花火事故の経緯がこれだ!




 

1986年にミスターちんさん、デビット伊東さんらと「B21スペシャル」を結成…
その後、1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞したのが、ご存知「ヒロミ」さんです。

当時、テレビで見ない日はないほど一躍人気者となったヒロミさんですが、1991年8月、番組収録中に大ヤケドするアクシデントに見舞われました。

名前:ヒロミ
本名:小園浩己(こぞのひろみ)
生年月日:1965年2月13日(53歳)
職業:タレント、ラジオパーソナリティ、俳優、実業家
所属:ビィーカンパニー
出身:東京都八王子市
学歴:昭和第一工業高等学校



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事故が起きたのは深夜番組の「1or8(ワンオアエイト)」(フジテレビ系)でのこと…
「イチかバチか」を英訳した番組タイトル通り、体を張ったチャレンジ企画が人気の番組でした。

主にミスターちんさんとデビット伊東さんが無人島でサバイバルやヒッチハイク、エアマットでの川下りなどに挑戦していたのですが、不公平との声にヒロミさんが初めてやった企画が、大量のロケット花火を背負い、空中に飛び上がる「ヒロミ宇宙へ」だったのです。

こちらも当時、前年の12月に、TBSの秋山豐寛さん(ソビエト連邦第3級宇宙飛行士)がロシアの宇宙船ソユーズで初の日本人宇宙飛行を実現し、また毛利衛さん(搭乗科学技術者)もスペースシャトルでの飛行を控えて訓練中という宇宙飛行ブームを受けての企画でした。

1991年8月19日、収録は千葉県は九十九里海岸で行われました。
ダミー人形でテストし、その後にスタッフが同一条件でリハーサルを行った上での本番だったのですが…

ヒロミさんは耐火性に優れたカーレーサー用のスーツを着用し、約6000発のロケット花火を背負って発射台に座りました。
見物人が見守る中、花火に点火され、ヒロミさんはわずかに空中に浮き上がったかと思われた直後、折からの強風にあおられ、火炎に包まれてしまうのです。

あまりの火勢の強さに、撮影スタッフが一時避難するありさまでした。
消火器を抱えた救護班が急いで駆け寄るものの、十数秒後に助け出されるまでヒロミさんは必死に発射台にしがみついていました。

見物人によると、白い煙に包まれたヒロミさんは「熱い、熱い!」と叫んでバッタリ倒れ、起き上がれなかったといいます。
衝撃的な事故の一部始終は家庭用ビデオカメラで撮影されていて流出映像はニュースなどでも取り上げられました。

事故後はヒロミさんは救急車で病院に搬送されましたが、お尻から両脚の後ろ側にかけ、一部が皮下組織にまで達し、黒焦げになる重度のヤケドを負っていたのです。

「地球は青かった」とヒロミさんはギャグを交えたコメントを出しましたが、太腿の皮膚をヤケド部分に移植する手術を行うなど1カ月以上入院が必要となったのです。

番組「1or8」はヒロミさんが入院したことでミスターちんさんとデビット伊東さんの2人で続けられましたが、事故から1カ月後の9月25日をもって打ち切りになったのです。

ヒロミさんは手術後、順調に回復して、9月2日には一般病棟に移り、11月1日に完全復帰しました。
復帰会見では「台風で風が強かったのが運がなかったかな」、「痕は徐々に消えていくんじゃないかな。コントでスカートをはく時は心配だけど」と語り、また「サラリーマンと同じことをしていては相手にされない」というような本音も出たのです。

復帰後まもなく、現在の妻・松本伊代さんとの交際が発覚…
そうして1993年に結婚し、最近では長男の小園凌央さんが俳優としても活躍されています。

当の本人、ヒロミさんはというと、その後は実業家として活動し、テレビ出演は減ったものの、2014年から本格的にタレント活動を開始…
最近では、またテレビで見ない日はないほど活躍されるようになりました。




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