4歳から6歳まで米国テキサス州ダラスで過ごし、現在は公益社団法人・浪曲親友協会理事の「春野恵子」さん。
「進め!電波少年」でケイコ先生として有名になった春野さんは一体どんな人なのか…
春野恵子さんのこれまでを振り返ってみました。
名前:春野恵子(はるのけいこ)
本名:唐木恵子
生年月日:1973年7月22日(46歳)
職業:浪曲師、公益社団法人浪曲親友協会理事
出身:東京都文京区
学歴:東京大学教育学部体育学健康教育学科
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1992年から2003年にかけて、番組名を何度かリニューアルしながらも、現在のバラエティ番組における無名タレントや芸人の起用の先駆けともいえる番組だったのが 「電波少年」シリーズです。
「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の猿岩石や「電波少年的懸賞生活」のなすびなど、無謀ともいえる体当たり企に画に出演させ、まったくの無名だった芸人たちを一晩で有名にさせました。
中でも男女のコンビによる異色の企画だったのが、2000年から2001年にかけて放送された「進め!電波少年」内の「電波少年的東大一直線」という企画…
この企画で有名になったのが、引き算もできないまま大学進学を目指した「坂本ちゃん」と、そこに家庭教師として加わった「ケイコ先生」でした。
ケイコ先生は、都内でも有数のお嬢様進学校(白百合学園中学校・高等学校)を卒業し、東京大学文科三類に合格した才色兼備…
その的確で知的な振る舞いが「ケイコ先生」という愛称とともに人気を呼び、最終的には「坂本ちゃん」を8大学に合格させるという快挙を見せました。
その後、本名の唐木恵子の名で女優、タレント活動を開始…
ところが番組の人気にあやかったタレント活動がほとんどで、理想と現実の違いに行き詰ってしまうのです。
そんな矢先、浪曲と出会って人生が一変したというケイコ先生は、上方の女流第一人者である2代目・春野佰合子門下に入門…
修行を積んだ後に、2006年にプロフィールにあるように「春野恵子」の芸名で初舞台を踏み、現在では浪曲師として活動しています。
2013年には山本能楽堂にて「番町皿屋敷 お菊と播磨」を、全編英語で上演し、これは浪曲史上初の試みとなりました。
舞台の他には、関西や名古屋のローカル番組に出演中で、東大卒のキャリアと「ケイコ先生」の知名度を活かして、全国区のクイズ番組などに起用されることもあります。
ただ東京以西では、すっかり「ケイコ先生」よりも「浪曲師・春野恵子」の名前の方がメジャーになっていますが…
そういう意味では、「ケイコ先生」は過去の人になってしまいましたが、この競争の激しい芸能界で2つの名前を残していることは、本人の努力もさることながら、芸能人としての適性があるのでしょう。
なお、本人の近況はブログやツイッターで確認できます…
ツイッターの更新頻度はかなり高めなので是非チェックしてみましょう。
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