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北大路欣也…父・市川右太衛門の老人ホーム入居騒動の真相とは?!




 

愛称は「右太さん」…
「旗本退屈男」で一世を風靡した時代劇の大御所、「市川右太衛門」さんが92歳で亡くなったのは1999年9月16日のことでした。

最後の1年は海と山に囲まれた風光明媚な千葉の老人ホームで過ごしたのですが、父・右太衛門さんの施設入所を巡って、息子の北大路欣也さん(当時56歳)が「冷血」、「姥捨て」とバッシングされる騒ぎが起きたのです。

名前:市川右太衛門(いちかわうたえもん)
本名:淺井善之助(あさいぜんのすけ)
生年月日:1907年2月25日~1999年9月16日(享年92歳)
職業:映画俳優
出生地:大阪府大阪市西区
学歴:大阪市立九条東小学校



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通夜が明けての記者会見で「本人たっての希望で館山のホームに入居した。大往生でした。」と語った北大路欣也さんの姿を、マスコミは美談として報じました。
ところが、親族がこれに反発したのです。

1998年8月の引っ越し作業は「わしは行かん」と右太衛門さんが反対する中で淡々と進められ、それ以降、連絡が取れなくなったと主張…
さらに、右太衛門さんが経済的に困っていたにもかかわらず、北大路さんが援助せず、家政婦が食費を立て替えて食べさせていたという情報まで飛び出したのです。

マンションは差し押さえられていて、入所を渋る右太衛門さんを兵糧攻めにしてホームに入れたと口にする人もいました。

これに対し、北大路さんはテレビで「父は“施設の方々にお前からお礼を言ってくれ。本当によくしてもらっていて感謝しているんだ”と言うんです。」と振り返り、施設入所が納得の上だったと語りました。

老人ホームの担当者は「最初のうちこそ無口でしたが、次第に外出されるようになりホームでは人気者でした。“帰りたい”とは一度もおっしゃったことはありません。」とコメントし、“姥捨て説”を否定したのです。
亡くなる前の最後の5日間は北大路さんの夫人が寝ずの看病をしたとも証言しました。

兄弟間の主張が真っ向から食い違う中、12月14日に「お別れ会」が開かれました。
夫妻は遺影の横で参列者に頭を下げていましたが、親族はこの2人だけで兄夫婦、姉夫婦の姿はありません。

翌年3月3日、対抗する形で今度は親族が主催する「市川右太衛門を偲ぶ会」が開かれましたが、こちらは北大路夫妻が現れず、参加者の間からは北大路さんを批判するささやきもあったのです。

あまりに激しい兄弟間の骨肉の争い…
原因として宗教問題を挙げる声も聞かれました。

2001年暮れ、右太衛門さんと同時に入所していた母が亡くなります。
それまでコメントを避けていた北大路さんですが、“亡き父・市川右太衛門を介護施設に入所させた本当の理由”と題する女性誌の記事で真相を語りました。

母親の足が動かなくなり、マンションでの2人暮らしに無理が出てくると判断した北大路さんは、10年以上費やして入所を説得したといいます。

通いの家政婦は高齢で介護まではとても無理…
兄と姉は普通に家庭を持っていて芸能界で生きているのは北大路さんだけだったのです。
兄姉とも随分話し合って行き着いた結論が、介護施設への入所だったといいます。

当時、週刊誌の記事に反論しなかったのは、実に悲しく情けない出来事に「あまりにも腹が立ったから」だといいます。
施設の方にも迷惑をかけたという北大路さんは「もし(当時)“旗本退屈男”をやっていたら、何人か斬りに行っていたかもしれない」とも語っていました。




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