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近藤サト…元旦那との離婚から現在までを振り返る




 

芸能界で歌舞伎役者と女子アナの結婚と言えば、2011年に結婚した市川海老蔵さんと故・小林麻央さんが有名かと思います。

しかし1998年には、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さんと、「近藤サト」さんも話題となっていました。
けれども、こちらは2年も持たずの結婚生活で、2000年に破局しています。

名前:近藤サト(こんどうサト)
生年月日:1968年7月11日(50歳)
職業:フリーアナウンサー、ナレーター、日本大学藝術学部放送学科特任教授
所属:ベルベットオフィス
出身:岐阜県土岐市
学歴:日本大学藝術学部放送学科



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2000年6目27日、5代目・坂東八十助さん(当時44歳)が都内で単独で離婚会見を開きました。
その直後に離婚届を提出していたのです。
2日後の29日には、これを受ける形で近藤サトさん(当時31歳)が名古屋市内のホテルで会見を開いたのです。

近藤さんは腰まで伸ばした髪をばっさり切っていました。
歌舞伎の世界に入ってからは着物を着こなしていましたが、会見ではスーツ姿で、さっそうとして、かつてキャスターとして活躍した近藤を彷彿させたのです。

まず、八十助さんの浮気や歌舞伎界のイジメ、近藤さんと精神科医との不倫など全ての話題を否定しました。
「子作りを始めとする夫婦間の意見の相違が離婚理由」として、

私は結婚に際して子供が出来ることを望んでおりました。女性であれば誰でも願い、強く希望することであると思います。それを誰かの意思によって阻まれるというのは、私にとっては理解できない。

と激白したのです。

近藤さんはそれ以上のことは言いませんでしたが、当時、取り沙汰されたのは八十助さんと前妻・寿ひずるさんとの間に生まれ、1995年に2代目・坂東巳之助さんを継いだ長男の存在が原因とされていました。

近藤さんが男児を産めば、後継問題で揉めるのは必至。
お家騒動を避けるため出産がかなわず、近藤さんが周囲に従う優柔不断な夫に愛想を尽かしたと考えられていたのです。

会見の近藤さんは終始、サバサバしたもので、

別れる時にお互いに心から『ありがとう』と言い合えました。

と30分の会見を締めくくったのです。

フジテレビ時代に八十助さんと番組で共演して交際がスタート。
近藤さんは酒が強く、お気に入りの男性がいると逆ナンパすると評判で、言わば元祖肉食系でした。

一方の八十助さんは”マメ助”と呼ばれるほどマメな艶聞家(えんぶんか)で、1996年12月、2人は深夜の密会を写真誌に撮られたのです。
別居中ながら妻子ある歌舞伎界のプリンスとの不倫は、当然世間の反発を買いました。

しかし、2人は突っ走り、八十助さんの離婚が成立した翌年3月の4カ月後に婚約を発表。
近藤さんは1998年10月にフジテレビを寿退社して翌月20日に入籍しました。
その翌日、がん闘病中の義母が他界し、新妻の”お披露目”が喪服姿という異例の新婚生活がスタートしたのです。

ちなみに翌年4月、後を追うように義父もがんで亡くなり、近藤さんは歌舞伎界の後ろ盾もなく、裏方の仕事に明け暮れる日々が続きました。
その結果の離婚だったのです。

もっとも、この2人は続きがあります。
近藤さんは3カ月後、また渦中の人物になったからです。

写真誌が長嶋一茂さんの事務所社長と10分もの車中キスをスクープ。
発売日は「坂東三津五郎襲名披露興行」の演目発表の当日でした。
その会見では前妻について質間が集中し、八十助さんは怒りで顔を引きつっていたのです。

2003年12月、近藤さんは「神戸ルミナリエ」のプロデューサーでイベント会社社長の今岡寛和さんと出来ちゃった再婚。
翌2004年6月に長男を出産し、社長夫人兼フリーナレーターとして活躍中です。




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