1990年代から2000年代前半に活躍した姉妹芸能人といえば、石田ゆり子さんと「石田ひかり」さんでしょう。
ただ、2016年のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS)で、石田ゆり子さんのかわいすぎるアラフィフぶりにわいた若い世代の視聴者も「石田ひかりって誰?」状態かもしれません。
名前:石田ひかり(いしだひかり)
本名:訓覇光(くるべひかり)
生年月日:1972年5月25日(47歳)
職業:女優、歌手
所属:風鈴舎
出生地:東京都
学歴:二松學舍大学大学院
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実はデビューからしばらくは、姉のゆり子さんよりも妹のひかりさんの方が圧倒的な人気を誇っていたのです。
ひかりさんのデビューは1986年のドラマ「妻たちの課外授業Ⅱ」(日本テレビ)でした。
当時はアイドル全盛期でCDもシングル10曲、アルバム5枚を出しているのですが、あまり売れませんでした…
転機が訪れたのは、ヒロインを演じた1991年の「ふたり」です。
尾道三部作で知られる大林宣彦監督による少女の成長と青春が綴られた作品で、ひかりさんはその年の映画賞新人賞を総なめにしました。
そして、NHK連続テレビ小説「ひらり」と、最高視聴率31.9%を記録したドラマ「あすなろ白書」(1993年・フジテレビ)の主演により大ブレイク…
1992年と1993年には2年連続で「NHK紅白歌合戦」で紅組司会を務め、今や公式化している「朝ドラヒロイン+紅白の司会=国民的女優」の元祖となったのです。
ちなみに「あすなろ白書」でのクレジットは、あの木村拓哉さんより上だったそうです。
またひかりさんは芸能活動と並行して、堀越高校を卒業後、亜細亜大学に入学しています。
このとき話題になったのが芸能人の一芸入試でした。
ひかりさんは芸能人一芸入試の元祖でもあるのです。
ちなみに亜細亜大学を卒業後は、二松學舍大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程(修士課程)修了し、そのときの修士論文は「恋する言の葉-平安のキムタク・光源氏に愛された末摘花に学ぶ理想の女性像-」というものでした。
1999年には、ゆり子さんが社長を務める芸能事務所「風鈴舎」に移籍…
この頃から主役ではなく、二番手、三番手の役が増えていきます。
当時は事務所の力が弱かったこともあるのですが、国民的女優へ昇りつめた宿命なのか、飽きられるのも早かったのです。
2001年に「ひらり」のディレクターだった訓覇圭さんと結婚し、長女を出産後、しばらくは家庭を優先した時期もあり…
2005年1月23日には自宅で次女を出産しています。
ドラマに出演しても、華のある役ではなく、1990年代の活躍を知らない視聴者には「サスペンスドラマでよく見る脇役の人」状態になっていたのです。
ところが、6月から放送のドラマ「屋根裏の恋人」では、14年ぶりに主演の座に復帰しました。
これは、どうやら業界では「ゆり子バブルのおかげ」とも言われたそうですが…
とは言えテレビや映画など、これからのひかりさんの活動に目が離せませんね。
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