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千昌夫…不動産王から借金王の異名をとる?!

1965年9月の「君が好き」でデビュー。
「星影のワルツ」(1966年)が大ヒットし、総資産3000億円とも言われ「歌う不動産王」の異名をとった「千昌夫」さん。

1980年代には事業と資産を急拡大したのですが、バブル崩壊とメインバンクの破綻と共に、一転して「歌う借金王」と呼ばれるようになりました。

名前:千昌夫(せんまさお)
本名:阿部健太郎(あべけんたろう)
生年月日:1947年4月8日(72歳)
職業:演歌歌手、実業家
出身:岩手県陸前高田市
学歴:水沢第一高等学校(中退)



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2000年2月4日、東京地裁に「アベインターナショナルベンチャーズコーポレーション」という会社が経営破綻し、特別清算を申請しました。
1034億円という巨額の負債を抱えて事実上、倒産したのです。

経営者は阿部健太郎さん。
歌手の「千昌夫」さん(当時52歳)でした。

歌手として飛び回る一方で、手広く事業を広げていた千さんでしたが、出発点は160万枚の大ヒット曲となったのは1966年3月24日発売の「星影のワルツ」の印税でした。
これを元手に1970年、仙台市郊外に山林5万坪を購入したことに始まります。
千さん、当時22歳の時でした。

この土地が東北新幹線の着工が決まったことで、地価が10倍に上昇します。
千さんはこれを担保に金融機関の融資を受け、次々に土地を買い増していきました。

1972年には「アベインターナショナル」を設立し、次から次へと不動産の買収と事業の拡大を続けます。
1980年代末にはマンションや貸しビルなど110ヶ所にも及ぷ賃貸物件を保有していました。
アパートの賃貸収入だけで年間40億円と言われたのです。

さらに、居酒屋チェーン「せんや」を始め、東京港区や渋谷区の一等地に貸しスタジオの経営も始めました。
香港、イギリス、オーストラリア、ハワイなどのホテルも買収し、200人の社員を抱えるほどになったのです。

総資産は2000億円とも3000億円とも言われ、コロッケさんのモノマネでは「カネ持ってんどー」が十八番になるほどでした。
1988年には事業の多忙を理由に歌手の休業宣言まで行ったのです。

しかし、1990年代に入ると土地が値下がりし、不動産を担保に借金して次の不動産を買うビジネスモデルは一気に破綻してしまいます。
1991年7月には2800億円の借金リストがマスコミに出回り、経営危機が伝えられました。

その後、借金は2500億円ほどになります。
1994年頃までに資産を売却し、1000億円ほどに負債を圧縮したものの、さらに地価の下落が続き、不動産売却で経営再生しようとする計画は頓挫(とんざ)します。

また、悪いことに1998年にはメインバンクの日本長期信用銀行が破城。
一時、国有化を経て、米リップルウッド社(LTCB)に売却されました。
そんな流れの中、巨額の債務を抱えた千さんの会社も清算を余儀なくされたのです。

1000億円を超える負債を抱えた千さんの会社ですが、結局、東京地裁に提出した「6年間で1億6000万円を返す」という再生計画書の条件を債権者が受け入れたことで巨額の借金はほとんどチャラになり、千さんは無事返済を終えたのです。

東日本大震災で甚大な被害を受けた故郷・陸前高田市。
ニュースの映像で町にぽつりと残った7階建ての鉄筋造りのホテルが映されましたが、これは「キャピタルホテル1000」という千さんが出身地に建てたビジネスホテルです。
今ではこのホテルも人手に渡っています。





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