1983年、ゴールデンウィーク初日の4月29日、話題の映画「女帝」(にっかつ)が封切られました。
当時、この映画は二つの意味で注目を集めていたのです。
一つは三越事件の当事者・竹久みちさんをモデルにした映画だったこと。
もう一つはヒロインを演じた「黛ジュン」さん(当時34歳)が、ロマンポルノ初挑戦だったことです。
名前:黛ジュン(まゆずみジュン)
本名:渡邊順子(わたなべじゅんこ)
生年月日:1948年5月26日(71歳)
職業:歌手、女優
出身:東京都調布市
学歴:品川区立冨士見台中学校
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黛ジュンさんは都内の中学を卒業後、ジャズ歌手として米軍キャンプを回っている時にスカウトされ、1964年に本名の渡辺順子でデビューしました。
最初は鳴かず飛ばずだったのですが、事務所を変わり、黛ジュンの名でデビューを果たすと大ブレイク。
1967年の「恋のハレルヤ」や1968年の「天使の誘惑」が立て続けにヒットし、一躍スターダムにのし上がったのです。
人気の秘密はパワフルな歌声ばかりではありません。
ミニスカートからのぞく美脚が世の男性たちを虜(とりこ)にしたからです。
そんな彼女が一糸まとわぬ姿になる…
往年のファンが大挙して映画館に押しかけました。
黛さんは初のロマンポルノ出演とは思えない、大胆な濡れ場を披露します。
三越の取締役会で社長を解任されて「なぜだ!」と叫んだ岡田茂を演じたの大木実さん。
この大御所を相手に黛さんは妖艶な演技を見せたのです。
映画は大入り満員。
興行的には大成功でしたが、思わぬ問題が起きました。
主人公のモデル・竹久みちさんが法的手段に打って出たのです。
配給元と製作会社を東京地検に名誉毀損で刑事告訴。
さらに、東京地裁に8000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。
竹久さん側は封切り直前に上映中止の仮処分を申請しようとしたのですが、そうした前例はなく、裁判所に納める保証金も高額になりそうだったので断念したのです。
とは言え、このままでは怒りが収まらない竹久さんは訴訟に踏み切ったのでした。
ところが、その後、裁判が進行しているような様子はなかったのです。
実は竹久さんは三越事件の公判対策でそれどころではなくなっていました。
自身が塀の内側に落ちるかどうかの瀬戸際…
結局、映画に関しては相手と和解したようで、訴訟は取り下げることになりました。
しかし、愛人の岡田社長を通して三越から不当な利益を得ていたことが発覚…
竹久さんは岡田さんと共に19億円の特別背任で逮捕されました。
最高裁まで争われ、1997年10月、懲役2年6月・罰金6000万円の実刑判決が確定。
刑期を終えた後は目立った活動はなく、2009年7月、動脈瘤のため79歳で亡くなっています。
黛さんも私生活ではあまり恵まれてはいませんでした。
1度目はベーシスト、2度目はドラマーと結婚しましたが、いずれも離婚…
2001年には作詞家の里村龍一さんとの婚約を発表したものの、2ヶ月後に破局したのです。
2009年5月には兄で作曲家の三木たかしさんが亡くなりました。
心身にダメージを受け、以前から患っていた喉の病気が悪化…
マイクを握れなくなりました。
引退も覚悟しましたが、2011年春ごろから回復し、2012年に入ってからはほぼ完治。
また自身が作曲した新曲も発売するなど、活動を本格的に再開しました。
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