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有森裕子…なぜガブリエルは結婚会見でゲイをカミングアウトしたのか?




 

「自分で自分を褒めたい」という名言を残した日本を代表するマラソンランナー「有森裕子」さん。
メダルも獲得し、順風満帆であった有森さんでしたが…
実は過去の会見で、夫がまさかのカミングアウトをして世間でも大変話題になったことがあります。

名前:有森裕子(ありもりゆうこ)
生年月日:1966年12月17日(52歳)
職業:女子マラソン選手
出身:岡山県岡山市
学歴:日本体育大学体育学部体育学科卒業




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1998年2月20日、某ホテルの記者会見場で発せられた男性の一言に、日本中が騒然となりました。
それこそ「I was gay(僕はゲイだった)」です。

最近でこそ一般に認知されるようになってはいますが、当時の日本社会で同性愛者といえば異質なものという風潮がありました。
それをテレビカメラや報道陣が居並ぶ場でカミングアウトしたのですから、お茶の間にどれほど大きな衝撃を与えたかは当時を知らない人にも想像がつくでしょう。

しかも、その人物が2大会連続の五輪メダリストであり、日本を代表する女性マラソンランナー有森裕子さんの夫である「ガブリスエル・ウィルソン」氏だったことが、マスコミの報道を過熱させることになりました。
記者会見のあと、しばらくワイドショーや週刊誌で有森さんの名前を見ない日はなかったほどです。

有森さんは1992年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得…
1996年アトランタ五輪では踵(かかと)の手術を受けた影響で苦戦が予想されましたが、執念の走りで銅メダルに輝き、レース後に語った言葉「自分で自分を褒めたい」は、この年の流行語大賞に選ばれました。

日本中に感動を与えた有森さんは「クリーンでストイックな女性アスリート」という地位を確立していただけに、この騒動が彼女の名誉と未来を打ち砕いてしまったと言っても良いでしょう。

アトランタ五輪後、所属していたリクルートを退社した有森さんは、日本人として初となるプロランナーになりました。
その大きな理由に、それまで競技者の肖像権を日本陸上競技連盟(陸連)と日本オリンピック委員会(JOC)が一括管理していたという問題が関係していたのです。
そこには競技者がどれだけ活躍してCMなどに出演しても、潤うのは管理者だけという慣例が古くからありました。

アトランタ五輪後、自分の商品価値を認識した有森さんは「肖像権は競技者本人が持つもの」と主張し、陸連、JOCと対立…
最終的には有森さんの主張が全面的に認められ、CMやテレビ出演などで収入を得ることができるようになったのです。

今でこそアマチュア選手が商業活動をすることは当たり前となっていますが、その先駆けとなったのが有森さんでした。
1998年当時の有森さんはCMや講演会に出て稼ぎまくっていた時期です。
しかし、“ゲイ騒動”を境に有森さんはマスコミの目を避け、隠者のような生活をすることを余儀なくされたのです。




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夫・ガブリエルはなぜゲイであった過去をカミングアウトしたのか?



当時の騒動を振り返ってみると、ひとつ大きな疑問に気づきます。
ガブリエル氏はなぜ、わざわざ結婚会見でゲイであった過去をカミングアウトしたのか?という点です。

スポーツ選手の結婚会見は、特別気の利いた言葉は必要ありません。
特に清潔なイメージのあった有森さんなのですから、オーソドックスな会見で良かったはずです。

会見中の有森さんは、終始顔を強張らせ笑顔のひとつも見せませんでした。
そしてゲイ発言時には、ガブリエル氏の隣で号泣してしまったのです。
その現場は結婚会見というより、謝罪会見のような重苦しい空気が漂っていました。

涙を流してまで、会見を行わなければならなかった理由とは何だったのか?…
現役時代の有森さんは高地トレーニングのため、アメリカ・コロラド州ボルダーに拠点を構えており、この地でガブリエル氏と出会ったのは1997年のことです。
ガブリエル氏はかつて東京に住んでいたことがあり、片言の日本語で話しかけられたことから意気投合したのだといいます。

2人は自然と惹かれ合い、すぐに交際がスタートしました。
ガブリエル氏が同性愛者であったことは既に知っていましたが、有森さんは彼のブロポーズを受け入れ、翌年の1月に教会で結婚式を挙げます。

有森さんサイドから結婚が発表されたとき、日本のマスコミは驚きを隠せませんでした。
有森さんの結婚はノーマークで、さらに夫がまったく素性の知られていないアメリカ人だったからです。
このため出版社やテレビ局は「ガブリエル・ウィルソン」という人物の正体を探るために奔走します。

ガブリエル氏の噂を先んじて報道したのは、2月2日発売のスポーツ新聞でした。
ガブリエル氏は1991年、東京都羽村市にアパートを借りていましたが、家賃を滞納したまま帰国していたことを突き止めたのです。

その後も宅配ピザやスーパーマーケットの代金不払い、複数のゲイバーに出入りしていたという目撃談が続々と報じられると、有森さんは結婚を発表してから約1カ月後の2月20日に記者会見を行うことを決意します。

マスコミの報道がどんどん過激になり、有森さんサイドは「早く騒動を収めなければならない」と判断したのです。
そのためには2人の口から真実を語る必要があり、苦渋の決断でした。

ただ、ガブリエル氏のゲイ発言が火に油を注ぐ結果になってしまったのです。
当時、有森さんとCM契約していたのはいずれも一流企業であり、芯が強く爽やかな有森さんを会社のイメージアップに活用していました。

しかし、会見後には有森さん本人ヘのバッシングだけでなく、スポンサーの元にも「同性愛者の妻をCMに使うのか」といった偏見に満ちたクレームが殺到…
騒動の余波を受けスポンサーは続々と離れ、講演会の中止も相次ぎました。
会見によってイメージダウンに歯止めをかけるつもりが、夫の一言によって打ち砕かれてしまったのです。

ガブリエル氏のスキャンダル発覚により、2人の結婚生活は新婚早々に破綻しました。
会見直後に別居することが発表され、有森さんの地元である岡山と東京で行われる予定だった披露宴も中止となったのです。

借金は有森さんが肩代わりし、ガブリエル氏はスーパーマーケットで働き、毎月少しずつ有森さんに返済するという形を取りました。
ただし、別居はあくまで両者の関係を修復させるためのものであり、離婚をすることはないというのが有森さんの主張でした。

実は会見が終わって、ガブリエルさんから「別れよう」と告げられたそうです。
でも世間から非難されたから別れるという選択は考えられない、2人で困難に立ち向かっていこうと決意したと、のちに発売された自著で有森さんは明らかにしています。

ところが、この年の9月にはサンフランシスコでアメリカ人女性とデートをしているガブリエル氏の姿が週刊誌にスッパ抜かれてしまいます。
この一件について有森さんは一切口を開くことはありませんでしたが、離婚を決定づける事件になるだろうというのがマスコミの見解でした。

しかし、その後も有森さんとガブリエル氏が離婚したというニュースが報じられることはありませんでした。
それどころか、会見が行われた1年後の1999年2月には別居生活を解消して、ボルダーで結婚生活を再スタートさせていたのです。

アトランタ五輪後、レースから遠ざかっていた有森さんですが、1999年4月のボストンマラソンに出場…
約3年ぶりのレースで自己ベストの2時間26分39秒をマークし、復活を強烈にアピールしました。

そうして有森さんは2007年の東京マラソンを最後に現役を引退し、陸連の理事を務める他、テレビ中継の解説、チャリティーなど精力的に活動していました。
当時の有森さんは全国を飛び回る毎日で、2人が顔を合わせるのは年に半分もなかったといいます。

しかし、それが災いしたのが2011年の7月…
2人はとうとう離婚してしまいます。
有森さんの話では物理的な距離やすれ違いに拍車がかかったとのことで円満離婚だったと語っていました。




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