オリンピックで5つもの金メダルを獲得し、水泳界のスーパースターであったオーストラリア選手である「イアンソープ」さん。
そんな伝説のスイマーであった彼は、2006年に突然の電撃引退を発表しました。
充電期間を終えて、2012年に復帰をしましたが、復帰後の泳ぎは全盛期には程遠いものだったのです。
名前:イアン・ジェイムズ・ソープ
生年月日:1982年10月13日(36歳)
職業:男性競泳選手
出身:オーストラリアニューサウスウェールズ州シドニー
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2006年11月、競泳界のスーパースターであるイアンソープさんが突如引退を発表…
世界中のメディアは驚きを隠せませんでした。
2000年シドニー、2004年アテネと五輪で5個の金メダルを獲得し、すでに財も名誉も手にしているとはいえ、まだ24歳になったばかり…
肉体的にもピークを迎え、2008年の北京五輪ではカール・ルイスさんなどが持つ、当時の生涯金メダル獲得記録(9個)を塗り替えるであろうと言われていただけに、不可解な引退だったのです。
ソープさんは「練習に集中できず、燃え尽きた」とモチベーション低下を引退理由に挙げましたが、辛辣なメディアは「若い世代の台頭に恐怖し、勝ち逃げした」、「泳ぐよりも楽に金を稼ぎたいから」と書き立てました。
ところが引退の真相は、メディアの想像を超えるスキャンダラスなものだったのです。
2007年3月、フランスのスポーツ紙「レキップ」のウェブサイトで、ソープさんのドーピング疑惑が報じられます…
それによると2006年5月、オーストラリア・アンチドーピング機関(ASADA)が実施した尿検査で、ソープさんの検体から筋肉増強効果のあるテストステロンと男性ホルモンの分泌を促進させる黄体形成ホルモンの使用を疑われる高数値が検出されたというのです。
この2つは、いずれも世界反ドーピング機関(WADA)の禁止薬物に指定されており、「ソープの電撃引退はドーピングの追及から逃れるため」という疑惑が囁かれました。
レキップ紙に情報を売ったのは、ASADAの元職員という説が濃厚とのこと…
なぜなら2006年から2007年にかけて、ASADA職員の半数以上にあたる28人が退職していたからです。
後日、ASADAは「数値に異常があった選手がいたことは事実」と認めました。
ソープさんはすぐに禁止薬物の使用を否定…
潔白を証明するため今後の調査に協力することを明言しましたが、禁止薬物の使用をやめた引退後に検査をしても意味はありません。
このことはソープさん自身も知っていたはずです。
また、ソープさんのドーピング隠蔽工作は、組織ぐるみで行われた可能性が高いのです。
なぜならASADAは、レキップ紙にスッパ抜かれるまでこの事実を公表せず、再検査も実施しなかったからです。
通常、ドーピング検査で陽性が出た場合、別の検体ですぐに再検査を行います。
ところが、ASADAは「検出された成分は薬物を摂取したものではなく、体内から自然に分泌されたもの」として再検査を実施しませんでした。
確かにテストステロンと男性ホルモンは体内でつくられる成分です。
しかし、高数値が検出されるほど多量に分泌されることは考えられません。
もし、多量分泌の体質であるならば、過去の検査で陽性になっているはずですが、すべて陰性でした。
ソープさんの疑惑を晴らす証拠は、何ひとつない、ということなのです。
事態を収束させるため、ASADAは2007年8月に「ソープに禁止薬物を使用した事実はなかった」と発表しました。
無実を証明するにあたって、ASADAはあらゆる調査を行ったと言いますが、肝心のドーピング検査は行われず、状況証拠のみで判断を下したのです。
この不透明な決着に多くのメディアは納得しませんでしたが、ソープさんがすでに引退した身であったため、それ以上追及されることはありませんでした。
その後ソープさんはドーピング疑惑のほとぼりが冷めた2011年2月、4年半ぶりに現役復帰を発表します。
2012年3月のロンドン五輪代表選考会に挑みましたが、全盛期の泳ぎにはほど遠く、100m、200mともに予選敗退…
久々の五輪出場とはなりませんでした。
この惨敗が、過去の栄光はドーピングの賜物だった…
という論調の裏付けになってしまったと言っても過言ではないかもしれません。
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