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宮沢りえの自殺未遂騒動に中村勘三郎は関わっていたのか?!




 

2012年12月に肺疾患で亡くなった中村勘三郎さん…
歌舞伎界を背負う大物の一人でしたが、艶聞でも常に話題を提供してきた人物でもありました。

中でも芸能史に残るドタバタといえば、「宮沢りえ」さんの自殺未遂騒動でしょう。

名前:宮沢りえ(みやざわりえ)
本名:森田 りえ
生年月日:1973年4月6日(46歳)
職業:女優、ファッションモデル、歌手
所属:エムツー企画
出身:東京都練馬区




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当時は5代目・中村勘九郎(当時39歳)…
1994年9月24日午前5時すぎ、京都市内のホテルのフロントに男性が「宮沢りえ(当時21歳)の部屋を調べてほしい」という電話をかけてきました。

電話の主はりえさんが22日まで北海道ロケを行っていたドラマ「北の国から’95秘密」のディレクターです。
このドラマで恋人役を演じている吉岡秀隆さんに、りえさんから1時間ほど前に電話がかかってきたのです。
ただならぬ様子で電話を一方的に切ったことで異変を感じた吉岡さんが、ディレクターに相談してフロントに確認の電話をかけたのでした。

駆けつけた従業員が部屋のドアを開けると、左手首を切ったりえさんがベッドに横たわっていました。
床に血痕、浴室に血のついたコップの破片…
すぐさま救急車が呼ばれました。

りえさんの意識ははっきりしており、名前を聞かれた時は「宮沢りえです」と答えて冷静だったといいます。

しかし、救急車に乗ってからは質問に答えず、ひたすら泣き続けました。
りえさんは左手首を5センチ切り、右手の指にはガラスを握りしめた時についた傷があり、全部で7針縫う全治1週間のけがでした。

24日の午前3時55分、りえさんはホテルにひとりでチェックイン…
同ホテルは勘九郎さんの定宿で、この日も勘九郎さんが宿泊していたことから密会の末の自殺未遂と疑われたのです。

しかし、当初はりえさんの自殺未遂を認めるような話しぶりだった関係者も、マスコミが続々と駆けつける大騒動に発展したことから、口を揃えて自殺未遂を否定し始めました。
事件性がないとみた警察が詳しい説明をしなかったことで、いつの間にか、りえさんが転んでけがをした事故とトーンダウンしたのです。

りえさんは24日夜の京都国際映画祭のレセプションで事件後、初めて姿を見せ、「こけちゃったんです」と笑顔で事故をアピール…
その後、姿を消したため、出演映画「四十七人の刺客」の舞台挨拶は中止となりました。

そして26日、りえさんの署名入り謝罪文が各社にFAXされます。
勘九郎さんらと飲んでホテルに戻るのが遅れ、母に叱られて先のホテルに宿泊…
誤ってバスルームでけがをした事故だった、と。

これにマスコミは納得せず、27日に今度は勘九郎さんが会見を開きました。

勘九郎さんは、

私のために宮沢りえさんが手首を切って自殺未遂を起こしましたと言えば、皆さんは喜ぶでしょう

と威勢よく話し、

冗談じゃない。酒を飲んでお母さんと喧嘩して転んでけがをしただけ

と事故をアピールしました。

ただ、

宮沢のことは好きだ。好きだから夜中の電話にも付き合って飲みに出る

と事件直前まで飲んでいたことは認めたのです。

りえさんは1993年1月に貴乃花さんとの婚約を解消…
勘九郎さんが相談相手で、2人の仲が疑われたのは事実です。
酔って転倒したというだけでは納得してもらえなかったのも無理はなかったといえる事件でした。




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