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麻丘めぐみ…結婚・引退から離婚・カムバックまでの経緯

3歳から子役として活動し、16歳の時に「芽ばえ」で歌手デビュー。
お姫さまカットに、チャーミングな容貌で「わたしの彼は左きき」をヒットさせた元祖アイドルの「麻丘めぐみ」さん。

そんな麻丘さんは1977年9月に、フジテレビの番組ディレクター渡邉光男さんと結婚し、芸能活動を休止していました。

名前:麻丘めぐみ(あさおかめぐみ)
本名:藤井佳代子
生年月日:1955年10月11日(63歳)
職業:女優、歌手、演出家
所属:シアタードリームズカンパニー
出生地:大分県日出町
学歴:明治大学付属中野高校定時制課程




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馴れ初めは1977年2月の「スターどっきり(秘)報告」での山形ロケがきっかけでした。
最初、麻丘めぐみさんは、渡邉さんのことを「仕事を一生懸命やる人だなあ」と感じていたと言います。

初デートは3月半ば、六本木で待ち合わせ、映画と食事というコースだったのですが、男性と一緒に映画を見るのは初めてで、男らしく歩く渡邉さんの後ろ姿に「結婚するんじゃないか」と感じた麻丘さん。

交際はトントン拍子に進み、4月末にプロポーズされ、知り合ってわずか4カ月目の6月27日に婚約会見が行われました。
麻丘さんは「平凡が好きでしたから、タレントを辞めてもやっていけると思います」と21歳で芸能界引退を宣言したのです。

麻丘さんは1974年3月、日劇ワンマンショーで転落事故を起こしていますが、この時も引退を考えたことがありました。
舞台上の階段セットから3メートル下の床に落下し、左腕と肋骨を骨折…
一時は再起不能とも囁かれたのです。

そして「ケガをして寝た切りの生活を送っていると、今までとガラリと変わった態度を取る人、去っていく人」がいたと言います。
歌い手としての商品価値だけを見ていた人が大勢いたことがわかり、麻丘さんは「仕事を辞めたい」と初めて思いました。

この時はお世話になった人のことを考え復帰しましたが、子役から活動し、周囲の敷いたレールに乗って進められる仕事に疑問を持つようになったのです。

幸せな結婚をした姉の存在も一因となりました。
婚約発表当時、実姉は妊娠中。

その幸せな生活を見て「女の幸せってやっぱり結婚して子供を作ることだなって思いますね。仕事を続けていくことも幸せでしょうけど、ずっと第一線でいられるのは普通の人じゃ中々できないんですよね」と語ったのです。

9月28日に軽井沢で挙式、10月15日に都内ホテルで披露宴を行いました。
その後、11月18日のコンサートを最後に芸能活動を休止したのです。

結婚後の麻丘さんは1979年に長女(ひとみちゃん)が生まれ、幸せな生活を送っていると報道されました。
しかし、結婚から6年目の1983年2月、離婚と芸能界復帰を発表します。

「離婚の原因として直接的なものはありません。結婚してから6年間の積み重ねで、私が至らなかったということです」と麻丘さんはコメントしました。

会見では「復帰を望む麻丘と夫が対立したのでは?」という質問も出ましたが、「離婚と仕事とのことは関係ありません」と答え、夫の女性問題の噂もキッパリ否定したのです。

その後の麻丘さんは長崎への原爆投下を扱った映画「この子を残して」で女優としてカムバック。
「もう過去は振り返らない」と男性誌でセミヌードを披露しました。
現在は女優として活動する一方、舞台のプロデュースなども手がけています。




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