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根津甚八…自動車事故と病気に悩まされた往年





芸名は、劇団「状況劇場」に入団した際に主宰の唐十郎(から じゅうろ)さんが苗字の「根津」に合わせて、真田十勇士の根津甚八から取って命名…
こうして数多くのドラマ、映画で活躍したのが「根津甚八」さんです。

ただ、往年は原因不明の難病とともにうつ病に苦しみ、2010年9月には俳優引退宣言…
2004年にはこの病気からくる視力障害が原因ともみられる交通故を起こしていました。

名前:根津甚八(ねづじんぱち)
本名:根津透(ねづとおる)
生年月日:1947年12月1日~2016年12月29日(享年69歳)
職業:俳優、演出家、脚本家
出身:山梨県都留市
学歴:獨協大学外国語学部フランス語学科(中退)




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2004年7月6日、午前11時20分頃…
東京は目黒区の閑静な住宅街にある交差点で、ガシャンと大きな音が響き渡りました。

車と自転車の衝突事故です。
自転車の67歳の男性が衝撃で10メートルほど飛ばされ、血を流し倒れていました。

車に乗っていた男性が駆け寄ります…
その男性こそ近所に住み、歯医者に行く途中の根津甚八さん(当時56歳)だったのです。

根津さんは倒れている男性に「おじさん、おじさん」と声をかけるが、ぐったりしたまま…
救急車を呼んで懸命に心臓マッサージを試みましたが、結局、男性の意識は戻らず、そのまま頭蓋骨骨折で亡くなったのです。

根津さんは警察で「安全確認が足りなかった」と供述…
後日、書類送検されましたが逮捕はされず、8日に行われた被害者の通夜に弔問に現れました。

その様子は痛々しく、足をひきずりながらフラフラして夫人と事務所関係者に支えられてやっと歩いている状態…
集まった報道陣の問いかけにも、答えもままならない憔悴ぶりだったのです。

根津さんは事故の前、2年ほど俳優活動を休止していました。
変わり果てた姿は事故だけが理由ではなかったのです。

当時、根津さんは右目下直筋肥大という病気に侵され、それが原因で物が二重に見える「複視」という症状や目を自分の意思で動かすことが困難になる症状に苦しんでいました。
実際、複視を治す手術を受け、その影響で右まぶたが垂れ下がってしまったのです。

何度もの整形手術を受けて俳優人生の危機と直面し、同時にうつ病も発症…
さらに腰も悪くし、事故の翌年、椎間板ヘルニアの手術を受けたのですが、歩行に障害が出るほどの状態だったそうです。

もともと、事故の起きた交差点は交通量の多い割には見通しが悪く、3年間で9件の交通事故が多発する魔の交差点でもありました。
しかし、事故と視力障害などとの関連がささやかれたのは言うまでもありません。

これからというときに病気に苦しみ、表舞台から姿を消した根津さん…
ついに2010年9月に、夫人が代弁する形で俳優引退宣言をします。

車椅子の生活となりましたが、芝居への情熱は強く、2015年には石井隆監督の要望で映画「GONINサーガ」で一度限りの銀幕復帰を果たしました。

根津さんと言えば、1969年に唐十郎さん率いる状況劇場に入団…
看板役者として鳴らした後は、1978年のNHK大河ドラマ「黄金の日日」の準主役、石川五右衛門役で人気を集めました。

その後も黒沢明監督の「影武者」、「乱」やキネマ旬報主演男優賞を受賞した柳町光男監督の「さらば愛しき大地」などに出演…
1980年代から1990年代にかけて演技力と個性的な風貌で、注目を浴び続けただけに、円熟期を前にした一連の不運が惜しまれます。

2016年12月29日、根津さんは東京都内の病院で肺炎のため亡くなっています。
69歳でした。




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