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本田美奈子…白血病が発覚するも移植する猶予もなく他界




 

1986年2月5日にリリースした「1986年のマリリン」がヒットした「本田美奈子」さん…
そのあどけない顔にヘソ出しルック、腰を激しく揺らす振り付けでアイドル歌手としてデビューを果たしました。

その後はミュージカル「ミス・サイゴン」への出演など活動の幅を広げていましたが、2004年末に「本田美奈子」に改名して間もなく、急性骨髄性白血病が判明します。

そうして2005年11月6日、若干38歳の若さで生涯を閉じました。

名前:本田美奈子.(ほんだみなこ)
本名:工藤美奈子(くどうみなこ)
生年月日:1967年7月31日~2005年11月6日(享年38歳)
職業:歌手、女優、声楽家
出身:埼玉県朝霞市
学歴:堀越高等学校卒業




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本田さんが異常を感じたのはデビュー20周年記念アルバムの打ち合わせを行っていた1月11日でした。
前年から風邪に似た症状や微熱が続いていたのですが、この日は節々の痛みとだるさ、耳鳴りなどが激しく、翌12日に医師に連絡…
その日のうちに血液検査を行い緊急入院となったのです。

入院時には白血球の80%が、がん細胞に侵されていました。
医師によると、あと2~3日検査が遅れたら手当てもできない状態だったといいます。
通常、白血病の治療には骨髄移植が有効なのですが、本田さんの場合は病状の進行が極めて速く、ドナーを探す時間もない状態でした。

また、当時は1週間後に埼玉・川越でのコンサートを控えていました。

本田さんは「注射を打ってでも出られませんか?」と直訴するものの、認められるはずもなく…
デビュー20周年を目前にして活動を休止することになったのです。

がんの治療では髪が抜けることが多いと言います…
「長い髪でバサバサ抜けたらショック。短ければ気にならないかもしれない」という理由から、本田さんは専属ヘアメークに「髪を切って欲しい」と頼みました。

骨髄移植を断念した本田さんですが、5月12日に受けた臍帯血移植手術が効果を発揮…
7月30日に一時退院できました。

夏の間、復帰したい思いから、体力を回復させるためのリハビリを開始…
近所を散歩するのが日課でした。

しかし8月31日、またも異常が見つかり、9月7日に再入院します。
この時、すでに死を覚悟していたのか、再入院後に自宅の棚やタンスの中はきれいに整理されていたといいます。

再入院後、米国の新薬を用いるなどの治療が行われました。
副作用で髪の毛が抜け、喉にまで口内炎ができる中、容体は一時的に持ち直したのです。
「また歌いたい」との思いから闘病中も発声練習を欠かさず、亡くなる2週間前まで続けていたといいます。

しかし、10月末に病状が急変…
11月5日には危篤状態となり、翌6日、静かに眠りにつくように息を引き取りました。

本田さんの死を受け、南野陽子さんが、

悔しいです。東京に出てきて、初めて同じ夢を持つライバルで友だちだった。私を筆頭に歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で。本当に頑張っていたのに…

と発言するなど死を悼むコメントが数多く寄せられました。

入院直前に打ち合わせを行った20周年記念アルバムですが、翌2006年4月20日、利用可能な音源を集め、1年遅れで「心を込めて…」のタイトルでリリースされました。

本田さんの没後、生涯の大半を過ごした故郷の埼玉県朝霞では駅南口に歌の流れる記念碑が建設されています。
また、ファンクラブ・オフィシャルサイトは多くの要望を受けて継続しています。




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