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宍戸錠…家族の反対を押し切り整形して頬の膨らみを除去!?




 

日活の大スター「宍戸錠」さん…
2013年2月4日には家が全焼して大騒ぎになったこともありました。

そんな宍戸錠さんのかつてのトレードマークと言えば、やや膨らんだ頰でしたが、この頰は生まれつきのものではなく、整形手術によるものでした。
しかし2001年3月に宍戸さんは再整形し、頰を元に戻したのです。

名前:宍戸錠(ししどじょう)
生年月日:1933年12月6日(85歳)
職業:俳優
出身:大阪府大阪市北区
所属:宍戸錠事務所
学歴:日本大学藝術学部演劇科(中退)




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2001年3月12日、大阪の総合病院・北野病院の外科副部長が記者会見を行いました。
そうして、

手術はほぼ予定通り。無事終了して、経過は順調です

と語ったのです。

この会見直前には、宍戸錠さんが44年10カ月前に頬に注入した、もと液状のパラフィンである「オルガノーゲン」を摘出する手術が行われていたのでした。

この時、宍戸さんは67歳…
著書「シシド小説・日活撮影所」によれば「シシドの顔はもう飽きた。ふくらんだ顔をしぼませて、古顔(オールドジョー)になりたい」という心境だったといいます。

このオルガノーゲンは長年の経過によって石灰化して頰の皮膚に癒着してしまい、手術でも取り残して、がんの原因になったり、敗血症を招く恐れもありました。

そのため家族は猛反対…
長男の宍戸開さんからも「手術を強行するなら親子の縁を切る」と猛反対を受けたほどです。

しかし、元の自分を取り戻したいという意志は固く、宍戸さんは2度目の整形を強行しました。

実際、摘出されたオルガノーゲンは石灰化して固形になっており、長さ9センチもあったといいます。
宍戸さんのによると、「まるで昔の着色されていないカズノコのよう」だったそうです。

宍戸さんが顔の整形手術をしたのは1956年…
日大芸術学部を中退し、1954年に日活ニューフェイス第1期生としてデビューしましたが、1956年にデビューした年下の石原裕次郎さんらの台頭と太陽族映画ブームの中で、線の細い正統派の二枚目だったことなどで、主流派からはずれた形になったのです。

そこで宍戸さんは、頬を膨らませて、悪役向きのふてぶてしい風貌にする豊頰手術を思い立ちました。
執刀した形成外科医も反対する中で、あえて人相を変えるいわば「逆整形」に挑んだのです。

宍戸さんの思惑は当たり、手術を機に、宍戸さんは悪役や殺し屋役で独自のポジションを掴み、スターとしての地位を築いていきました。
1961年1月に石原裕次郎さんがスキーで骨折し、2月に赤木圭一郎さんが事故死したこともあって、「エースのジョー」として小林旭さん、二谷英明さんらとともに、第2次日活ダイヤモンドラインの一角を占めるに至ったのです。

■赤木圭一郎…ゴーカート事故死の原因が何だったのか?!

オルガノーゲンを取り除く手術後の3カ月の6月10日…
宍戸さんは日本テレビ系のトーク番組「おしゃれカンケイ」で再整形した顔を初披露しました。

頰の異物をとった顔は息子の開とそっくりのすっきりした面持ちで、宍戸さん自身も「オールドジョーになるつもりで手術したのに、若返っちゃったよ」と満悦の様子だったのです。

この宍戸さんの俳優人生とともに歩んで来た頰のオルガノーゲン…
宍戸さんは持ち帰ってホルマリン漬けにして大事に保管していたといいますが、残念ながらこれも火事で燃えてしまったようです。




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