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三浦洋一…死因の「食道がん」を明かさずに舞台に挑んでいた?!





1974年に「初級革命講座」でデビューし、「熱海殺人事件」など、つかこうへいさんの作品に主演…
二枚目の個性派俳優として「さすらい刑事旅情編」(テレビ朝日系)などで活躍した人物こそ「三浦洋一」さんでした。

食道がんのため、46歳の若さで亡くなったのは、2000年5月14日のことでした。

名前:三浦洋一(みうらよういち)
生年月日:1954年1月21日~2000年5月14日(46歳)
職業:俳優
出身:愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)
学歴:早稲田大学政治経済学部(中退)




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業界では激ヤセが伝えられていた三浦さんのがんが発覚したのは1999年9月…
食べ物が今まくのみ込めないという三浦さんを心配した妻の真理子さんが、三浦さんの友人の外科医に「最近、旦那が痩せてきて、物が食べられなくなっているんです。心配だから診てくれませんか」と電話をかけたのです。

翌日、内視鏡とCTスキャンで検査したところ、食道下部、胃のすぐ手前に直径3センチ以上の腫瘍ができているのが発見されました。
食道の4分の3はすでに機能していない状況だったのです。
もはや手が付けられない状況で、医師は「年内はダメだろう、もって2~3ヶ月だろう」と感じたと言います。

医師は三浦さんには「食道がんだ。もう手術のできない状態。化学治療と放射線治療をやろう」と告知しました。
ショックを受けた三浦さんはしばらくは言葉も出ない状況でしたが、「それでいこう」と数日後から治療を開始したのです。

しかし、三浦さんは「10月に新宿コマ劇場で(長山洋子さんの)舞台公演の仕事が入っている」と9月20日過ぎに一時退院…
約1カ月間の舞台出演を強行しました。

がんは肺にも転移しており、すでにバナナジュースさえも、うまく喉を通らない状態だったのですが、宿泊先のホテルで点滴を受けながら舞台に立ち続けました。

75キロあった体重は千秋楽には55キロまで激減…
共演者に激ヤセぶりを気づかれないようにと、舞台衣装の下に肉じゅばんを2枚も巻いていたり、「稽古ではげしく動き回っているため」とごまかしていましたが、実際には唾を満足に飲み込むことさえできないほど病状が悪化していたのです。

公演終了後の11月、三浦さんは再入院…
医師と所属事務所は記者会見を開き食道がんが公表されました。

医師は会見で「転移している様子もないし、100%に近い確率で完治」と語りましたが、これは本人に病状を知らせないための嘘でした。
実際には年が越せるかどうかという状況で、翌年1月に予定されていた長山さんの中日劇場公演も降板が決まったのです。

闘病生活を支えたのは家族への愛でした。
1月27日は主治医らを伴って箱根1泊の家族旅行に出かけ、大晦日にも一時帰宅…
正月は自宅で一家団らんを楽しみました。

しかし、「桜の花が咲くまでは持たない」という医師の言葉通り、4月には急速に容体が悪化、5月に息を引き取ったのです。
闘病中、病室で一度として「痛い」と訴えたことがなかったと言います。

三浦さん本人も、仕事へ復帰する希望を捨てず、妻は「夫は父親として、また役者として患者としても、最後ほでダンディーな美学を貫いて逝った人でした」と語りました。

通夜と告別式には7年前にドロ沼離婚劇を演じた女優の宇津宮雅代(うつのみやまさよ)さんも恩讐を超えて出席…
三浦さんはレードマークのリーゼントヘアで棺に納められました。




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