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伊丹十三…死因の真相は本当に写真週刊誌が原因だったのか?!





「マルサの女」、「マルタイの女」を始めとした「女シリーズ」が有名な伊丹十三監督が衝撃の飛び降り自殺を遂げたのは1997年暮れでした。
写真週刊誌に若い女性とのデートをスクープされ、それが原因と推測される遺書は残されていましたが、原因は未だに謎に包まれています。

名前:伊丹十三(いたみじゅうぞう)
本名:池内義弘(いけうちよしひろ)
生年月日:1933年5月15日~1997年12月20日(享年64歳)
職業:映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター
出生地:京都市右京区鳴滝泉谷町
学歴:愛媛県立松山南高等学校




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12月20日夕方6時半、東京・港区の8階建てマンションの屋上から男性が飛び降りました。
近所には「バーン」という大きな音が鳴り響いたと言います。

地上23メートルの高さから駐車場に落下した男性の周りには半径1.5メートルほどの血だまりができていました。
救急車が呼ばれ、広尾病院に運ばれましたが即死状態だったのです。

すぐ警察署に移されましたが、顔面のダメージがひどく身元が判明しませんでした。
夜11時過ぎになって、そのビルに個人事務所を構えていた伊丹十三監督と特定されたのです。

その翌日の午後「伊丹プロダクション」の玉置泰社長が記者会見を開き、伊丹監督の遺書の一部を公開しました。
そこには「死をもって潔白を証明します。これ以外の方法では立証できないのです」とあったのです。

この会見の翌日、伊丹監督と26歳の外資系企業に勤める女性との交際を報じる記事が発売予定でした。
20日午後からこの雑誌の早刷りが出回り、芸能マスコミが伊丹監督への取材に動き出した直後の自殺だったのです。

写真誌には伊丹監督が女性と個人事務所に出入りしたり、近所の高級レストランで談笑するシーンが掲載されました。
記事には「(伊丹は)多彩なプレーを好む」など意味深な女性の友人のコメントが載ったのです。

伊丹監督も取材を受け、「女性とは友達で、次回作で描くOLの生活の取材のために会っていた」など彼の主張も併記されました。

発売された雑誌を見た彼の知人たちからは、「プレーボーイだった伊丹がこの程度の記事で自殺するのだろうか?」といぶかる声が上がったのです。
また、生前の伊丹は「自殺は残された人に迷惑をかける。よくない死に方だ」と周囲に漏らしたことがあったと言います。

深まる謎に、暴力団とのトラブルに巻き込まれたという説も飛び交いました。
伊丹監督は監督作品「ミンボーの女」を巡り、1992年5月に刃物を持った5人の暴力団員に襲撃され、瀕死の重傷を負っています。

スクープされた女性は暴力団が恐喝のために仕向けた美人局という推測でしたが、結局、その女性に暴力団との接点は見つかりませんでした。

伊丹監督が死を選んだ数年後、司法解剖を担当した法医学者が「自殺というより大量飲酒による事故死ではないか?」という見解を示し、本当の理由は今もわからないままとなったのです。

伊丹十三監督は1960年に俳優としてデビュー…
その後、エッセイスト、雑誌編集長、イラストレーターなど多彩な方面で活躍しました。

1984年に監督した「お葬式」が映画賞を総ナメにし、その後9本の映画を監督し、日本映画界屈指のヒットメーカーとして知られるようになります。

父は映画監督の故・伊丹万作さん、妻は女優の宮本信子さん、義弟は作家の大江健三郎さん…
家庭生活も仕事も順調の中、早すぎる死だったのです。
2000年には、義弟の大江健三郎さんの小説「取り替え子」に伊丹十三監督を思わせる人物が描かれ、話題となりました。




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