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萬屋錦之介…多くの病気と戦い続けながらこの世を去る





1997年3月10日、午後2時41分…
大物俳優が千葉県柏市の国立がんセンター東病院で息を引き取りました。

その人物こそ本名、小川錦一さん…
一般的には俳優として知られる「萬屋錦之介」さんでした。

名前:萬屋錦之介(よろずやきんのすけ)
本名:小川錦一(おがわきんいち)
生年月日:1932年11月20日~1997年3月10日(享年64歳)
職業:歌舞伎役者、映画俳優
出身:東京府東京市麻布区
学歴:旧制暁星中学校(中退)




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萬屋さんは1997年3月7日から危篤状態が続き、妻で宝塚の男役トップスターだった甲にしきさん(当時54歳)ら親族が毎日枕元で励き続けましたが、その願いはかないませんでした。

萬屋さんが喉に不調を訴えたのは前年の春…
同センターで診察を受けると中咽頭がんと判明したのです。
これで1997年に放送予定だったNHKの大河ドラマ「毛利元就」の尼子経久役も決まっていましたが、降板を余儀なくされたのです。

6月27日に入院…
7月18日にはへんとうと舌の半分を切除する手術を受けました。

この手術で萬屋さんは声が出なくなり、普段の会話は筆談に…
食事も流動食しか口にできないない状況だったと言います。

そんな中、もう一度舞台に立ちたいと、懸命に舌を動かし、声を出すトレーニングに取り組んでいた萬屋さん…
経過も良好で97年2月21日には一時退院が許されるほどになりました。

しかし、25日になって突然高熱に襲われます…
肺炎でした。
長い闘病生活で抵抗力が落ちていたこともあって、結局、そのまま帰らぬ人となったのです。

葬儀は3月14日に芝・増上寺で行われ、3000人のファンが集まり出棺を見送りました。
中でも芸能マスコミの注目を集めたのは萬屋さんの「3人の妻」の存在でした。

喪主をつとめたのは甲さんは1990年に入籍…
その前の妻は21年の長きにわたって連れ添い、1987年に正式に離婚した淡路恵子さん(当時63歳)です。

甲さんは1986年から萬屋さんと不倫の関係のまま同棲生活を始め、淡路さんとの泥沼化した三角関係と確執が当時の芸能マスコミでさんざん報じられていました。
そして最初の妻は4年間の結婚生活を送って、1965年に離婚した有馬稲子さん(当時64歳)です。

葬儀には有馬さんも淡路さんも参列しました。
有馬さんはその数日前に膝の手術を受けたばかりで、松葉杖を突いていたのですが、「来るかどうかは迷いましたが、これ逃すと、もうお会いできないと思いまして」と語っています。

一番注目を集めていた淡路さんは、「色々なことがありましたが、私にはいい思い出と子供が残してくれました。今の奥さんには『ごくろうさま』と言いたい。恨みなんかとっくにない」と言葉を選んだ大人の対応をしました。

けれども、淡路さんは15分ほどで焼香を済ませ、出棺や火葬にも立ち会うことなく立ち去ったのです。
甲さんから淡路さんに挨拶もありませんでした。
それらのことから、未だに残る確執の深さを読み取る向きも多かったと言います。

萬屋さんは歌舞伎の名門に生まれて東映の看板スターとして活躍…
テレビでも「子連れ狼」などで人気でしたが、1982年には首の筋肉がマヒする重症筋無力症にかかり、139日も入院、胸腺腫を摘出する手術も受けた。

翌1983年には肺炎で3カ月半の入院…
1990年には角膜上皮剥離で緊急入院しています。

次々と襲い掛かってくる病と闘い続けたスターの死でもありました。
そして淡路さんは2014年1月に亡くなっています。




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