1977年に人間国宝5代目・柳家小さんに入門…
男前で実力を兼ね備え、プリンスとして期待された4代目「桂三木助」さんが首吊り自殺を遂げたのは2001年1月3日のことでした。
この時、43歳の若さ…
死の直前、寄席を断りなく欠席したり、奇行が度々伝えられていたのですが、果たして三木助さんの自殺の原因(理由)は何だったのでしょうか?
名前:4代目・桂三木助(かつらみきすけ)
本名:小林盛夫(こばやしもりお)
生年月日:1957年3月29日~2001年1月3日
職業:落語家
出身:東京都北区田端
学歴:立教大学経済学部
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2001年1月3日、三木助さんのマネジャーを務める姉が事務所に出社すると、留守番電話には前日、前々と浅草演芸ホールの高座に遅刻をしたという連絡が入っていました。
今日も高座がある日だと心配になった姉は、自宅の母に「盛夫(桂三木助の本名=小林盛夫)を起こして」と連絡したのです。
母親が三木助さんの部屋に行くと、ベランダの物干し用フックに手拭いがくくりつけられて、三木助さんはそれで首を吊っていました。
また、彼の周りにはネクタイや細紐がありました。
それで首を吊ろうとしたがうまくいかず、最後に手拭いで首を吊ったとみられています。
発見された時、ぐったりしながらも満面に笑みを浮かべたような表情だったといいます。
母親は三木助さんのこの様子を見て「盛夫が死んでいる」と姉に電話をかけました。
姉は慌ててタクシーで家に戻ります。
すると、母親と姉の長男が懸命に心臓マッサージを行っていて、姉も加わり、人工呼吸を試みました。
そこへ救急車が来ます。
その時点まだ心電図には反応がありました。
家族は生還を期待したのです。
しかし、手当ての甲斐もなく午後2時5分に三木助さんの死亡が確認されました。
首吊りを行った時刻は午前6時ごろ推定されたのです。
三木助さんは3代目・桂三木助さんの長男…
立教大学在学中の1977年、柳家小さんに弟子入りしました。
ディスコに通い、寄席に外車で乗りつける前代未聞の前座として知られ、毛並みの良さと有名大学出身ということから「落語界のシティーボーイ」といわれ、春風亭小朝と次世代のホープと評されたのです。
そうして、28歳の1985年に26人抜きで真打ちに昇進しました。
ここまでは順風満帆に見えたのですが、1993年に重度の胃潰瘍のため、胃の4分の3を摘出する手術を受けます。
この頃から体力の衰えを感じ、風邪をこじらせ、肺炎に襲われたり滑舌も悪くなって「高座でタンカが切れない」と悩んでいたといいます。
さらに、2000年には友人にだまされ、商工ローンの保証人になり、1000万円以上の負債を抱え込んでふさぎ込んでいました。
そうして三木助さんは酒と睡眠薬に頼らないと眠れなくなっていたのです。
毎晩、ビールを3リットルほど、がぶ飲みした上に、睡眠薬を飲みやっと寝つく日々…
体調もさらに悪化し、2000年9月には腸閉塞で手術を受けました。
そして10月、鈴本演芸場の昼席への出演を寝過ごして無断休演…
12月1日、2日と池袋演芸場の夜席を遅刻、翌日も遅刻しました。
さらに3日には深夜、JR駒込駅で行き倒れになっているところを保護され、病院に緊急搬送されたのです。
高座の後、意識もうろうとしたままコートも脱ぎ捨て10時間以上も徘徊していました。
精神的にもボロボロ…
うつ病の可能性が高いと担当医からも指摘され、大学病院への受診を勧められていました。
しかし、受診はそれきりになってしまい、年明けに自殺という最悪の結末になってしまったのです。
遺書には「か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」と書かれており、文字はかなり乱れていたといます…
冒頭の「か」の意味は未だに明らかにされていません。
後日、都内のホテルにて、林家こぶ平さんなどの親しかった落語家たちによる三木助を送る会「さよなら!ミッキー」が催されました。
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