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沢村貞子…最期は昭和の大女優らしくこの世を去る









第4回夏季オリンピックがロンドンで開かれた1908年…
この年に生まれて1930年にデビューした大女優こそ、一時代を築いたのが「沢村貞子」さんでした。

戦前には治安維持法下で、所属劇団が思想弾圧を受け、自身も逮捕され、2年近く獄中生活を送るなど波乱の生涯を送ったことで知られる沢村さん…
最後まで自らを貫き通した人でした。

名前:沢村貞子(さわむらさだこ)
本名:大橋貞子(おおはしていこ)
生年月日:1908年11月11日~1996年8月16日(享年87歳)
職業:女優、随筆家
出生地:東京府東京市浅草区猿若町(現・東京都台東区浅草)
学歴:日本女子大学師範家政学部




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沢村さんは戦後、100本以上の映画に出演し、名脇役として活躍していましたが、エッセイストとしても高く評価されていました。
70歳の1978年には、その半生がNHKの朝ドラ「おていちゃん」として放送され、最高視聴率が50%を記録する国民的なドラマになったのです。

そんな沢村さんも80歳で大きな決断をします…
立ち上がる時に「どっこいしょ」とかけ声するようでは女優は務まらないと引退表明したのです。

そうして、神奈川県横須賀市のマンションに引っ越しました。
その後は海を眺めながら、執筆活動と得意の料理に打ち込む生活を送ったのです。

その後の動静はあまり伝わりませんでしたが、体調を崩したのが1996年夏…
6月24日に39度の熱を出して倒れたといいます。

以降は高齢もあって寝たきり状態になり、最後は本人の意思で治療を謝絶しました。
日頃から「人間は10日も食べないと自然に死ぬそうだよ」と周囲に語っていて、食事が喉を通らなくなった際には流動食を勧めたが食べなかったといいます。

死去はお盆の真っ最中の8月16日…
病院に運ばれることもなく、自宅マンションで静かに息を引き取りました。

最期をみとったのは40年来、身の回りの世話をしてきた女性…
死因は心不全でした。

もっとも、死後はその気丈な様子が伝わってもいました。
衰弱し、トイレもままならない状態になっていたのですが、他人の世話になることも拒否していたのです。

沢村さんは芸能一家の生まれ…
兄は4代目沢村国太郎さん、弟は加東大介さん、甥っ子は津川雅彦さんですが、津川さんが沢村さんを見舞った際にはもう口も利けない状態なのに、自分の力でトイレに行く姿を見て、鬼気迫るものを感じたと語っています。

亡くなる1カ月前のエピソードもあります。
沢村さんは俳優の藤原釜足さんと1936年に結婚、1946年に離婚しています。

離婚の原因は新聞記者で後に出版社を経営する大橋恭彦さんとの関係…
大橋さんには妻もいて駆け落ち同然で同棲生活を始めました。
正式に籍を入れたのは1968年ですが、ずっと連れ添った伴侶だったのです。

その大橋さんの三回忌の法要は同年7月17日…
津川さんらには「三回忌まではきちっとやる」と宣言していました。

当日は化粧し、和服も着こなして、病床にあることを知られないように来客の応対を務めたのです。
葬儀も沢村さんらしいものでした。

自宅側は湘南海岸…
葬儀で混雑すれば海水浴客に迷惑になるというのが遺志で、訃報は伏せられました。

マスコミが知ったのは3日後の19日でその間に長門裕之さんや津川さんら親族の他に、長年馴染みのタクシー運転手や呉服店店主ら十数人が集まっただけの密葬が営まれました。
浅草生まれの江戸っ子で、その凛とした生き方を共感を呼んだのです。




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