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古尾谷雅人…死因(自殺)の本当の原因は何だったのか?!




 

身長188センチの長身で演技派俳優として評判が高かった「古尾谷雅人」さんが、自ら命を絶って亡くなったのは2003年3月のことでした。
享年45歳。
はたからは順調に俳優人生を送っていると見られていましたが、死後、経済的苦境や心の闇が次々に明らかになったのです。

名前:古尾谷雅人(ふるおやまさと)
本名:古尾谷康雅(ふるおややすまさ)
生年月日:1957年5月14日~2003年3月25日(享年45歳)
職業:俳優
所属:正木ルーム
出身:神奈川県川崎市中原区




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2003年3月25日、午後6時頃。
外出から帰った妻で元女優の鹿沼絵里さん(当時50歳)は、夫の古尾谷雅人さんが寝室から出た気配がないのに気づきました。

部屋をのぞいてみると、天井に渡された鉄パイプに空手の黒帯が結ばれており、そこには古尾谷さんが床に足がつかないように足をくの字に曲げだ姿でぶら下がっていたのです。
遺書はありませんでしたが、明らかな自殺でした。

しかし、誰もが首をひねったのです。
古尾谷さんは仕事の面でも家庭の面でも順風満帆に見えていたからです。

古尾谷さんと言えば、1980年に映画「ヒポクラテスたち」で報知映画賞で脚光を浴び、1990年には「宇宙の法則」で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。
1990年代後半にはテレビドラマ「六番目の小夜子」(NHK)や、1995年から1997年の「金田一少年の事件簿」(日本テレビ)の警部役が当たり役になり、ファンは確実に広がっていました。

しかし、その後の報道では金銭面で苦労していたことがわかったのです。
まず、特別区民税を450万円も滞納。
さらに、別口の借金で自宅マンションに550万円の抵当権が設定されていることも判明しました。

バブル絶頂期に1億4000万円のローンを組み、1億5000万円でマンションを買いましたが、その後は4000万円ぐらいに値下がりし、ローン返済にも苦しんでいたのです。

さらに運が悪いことに、役者として大物視されてギャラのランクが上ったことで、仕事のオファーが減っていました。
それでも、存在感と役作りに定評があり、自他共に認める昔気質の役者だった古尾谷さんは、あくまでも俳優の仕事にこだわり、バラエティーなどの仕事は受けなかったのです。

そこで妻・鹿沼さんは日活の元売れっ子女優というプライドをかなぐり捨て、借金返済のため近所のスナックでアルバイトをしながら、金策に走る日々を送りましたが、結果的に借金は3億円にまで膨みました。

ただ、それだけではなく、親族間でのトラブルも持ち上がっていたのです。
自殺の前年、古尾谷さんの父が亡くなったのですが、遺言でほとんどの財産を継母が相続し、古尾谷さんと弟が裁判で継母と争っていました。

これらのことが重なって古尾谷さんは鬱(うつ)状態に陥っていたと言います。
家では昼夜逆転の生活を送り、巨人戦を見ては酒浸りの生活…
鹿沼さんが著書「最期のキス」で明かしたところによると、家族に暴力を振るうことも多かったそうです。

鹿沼さんに対して顔面に重傷を負わせたかと思えば、突然、鬱状態に陥り「舞台で死ねたら役者として本望」、「自分は必要ない人間じゃないか」と悲観的な言葉を発することもありました。

古尾谷さんは生い立ちも複雑でした。
幼い頃、実母と生き別れ、父親が迎えた継母との不和に苦悩した少年時代を送り、いわゆるアダルトチルドレン的なところもあったといいます。
暴力を振るうことで自責の念にかられた面もあるのでしょう。

しかし、それでも古尾谷さんは生真面目、一本気で知られていました。
他人には理解できない深い悩みな抱えていたことは想像に難くありません。

3月28日に行われた葬儀では、大勢の映画人が参列。
今は亡き長門裕之さんは「俺の老獪な生き方を教えてやりたかった」と、この生真面目な古尾谷さんの死を惜しみました。




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