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内田有紀…吉岡秀隆との離婚理由は何だったのか?!




 

1990年代にビジュアルクイーンとして人気だったのが「内田有紀」さんです。
2002年にドラマで共演した吉岡秀隆さんと結婚しましたが、夫婦生活は3年でピリオドとなりました。
果たして、2人の離婚理由は何だったのでしょうか?

名前:内田有紀(うちだゆき)
生年月日:1975年11月16日(43歳)
職業:女優、歌手
所属:バーニングプロダクション
出生地:東京都中央区日本橋
学歴:藤村女子中学校・高等学校(中退)




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内田有紀さんと吉岡秀隆さんが共演したのは、倉本聰さん脚本のテレビドラマ「北の国から」です。
中でも、21年間にわたってフジテレビ系で放送されてきた人気シリーズの最後を飾る「北の国から 2002遺言」でした。

ロケは2001年9月にスタートし、翌2002年3月まで羅臼(らうす)や富良野など厳寒の北海道で行われました。
しかし撮影は終始、家族的な雰囲気で進行したのです。

「北の国から 2002遺言」は内田さん演じる人妻の結が、吉岡さん演じる純と恋に落ちるというストーリーでした。
それをなぞるようにロケ終盤には、ロケバスの中で寄り添って腕を組む姿も目撃きれるようになったのです。

2002年夏、内田さんの部屋に通う吉岡さんの姿が写真週刊誌にキャッチされました。
そろって富良野在住の倉本さんを訪問する姿も報道されるなど、結婚は秒読みとなっていったのです。

結婚式が行われたのは、2002年12月7日…
場所は氷点下8度という厳寒の富良野でした。

倉本さんの演出で手づくりのチャペルにロウソクが灯り、出席者は親族や友人、田中邦衛さんら北の国からの関係者など50人という手づくり婚だったのです。
内田さんは結婚を機に芸能活動を休止し、東京の新居で主婦業に専念する生活を始めました。
けれども、幸せな生活は長くは続かなかったのです。

離婚発表は2005年12月…
報道直前まで食事やコンサートに一緒に出かけ、アツアツのエピソードが伝えられていたため周囲は驚きました。

離婚の原因はいくつも取り沙汰されています。

内田さんは小学校の時に両親が離婚…
温かい家庭にあこがれていたのです。

「北の国から」で描かれていたような夫婦が一緒に暮らす生活が理想でした。
ところが、吉岡さんは地方ロケで家を長期間空けることが多かったのです。

寂しがり屋の内田さんは次第に孤独に耐えられなくなりました。
そのうち内田さんは女優に復帰したいと思うようになるのですが、吉岡さんは妻が外出するのを嫌がったのです。

「かごの鳥のようにかわいがりたかった」とも言われ、内田さんは家と近所の行き来だけの生活に…
ますます息が詰まるようになりました。

また、吉岡さんの酒癖の悪さを指摘する報道もありました。
酔って帰宅する吉岡さんと内田さんの夫婦喧嘩を報じる女性週刊誌もあったのです。

他にも吉岡さんが提案した富良野への移住話も一因でした。
内田さんには不慣れな土地で夫を待つ生活に対する不安があったのです。

もはや2人には埋めがたい溝ができていました。
結局、2005年11月末に別居、1カ月後の12月21日に正式離婚してしまいます。

実は倉本さんには「遺言」の続編として、2004年に結と純が離婚するというストーリーの構想があったと言います。
ドラマの設定をなぞるように結婚した2人が、再びシナリオ通りに短期間で離婚してしまいました。

内田さんは2005年に芸能界に復帰…
映画「クワイエットルームにようこそ」などでの演技力は折り紙つきです。
最近でも、テレビドラマ「荒神」や「まんぷく」出演していました。

吉岡さんも当たり役となった映画「ALWAYS3丁目の夕日」などにおける評価は高く、最近でもテレビドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」や「朗読屋」などに出演しています。




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