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岡田有希子…遺書から明らかになった自殺の真相とは?!





1986年4月、18歳の人気アイドルの「岡田有希子」さんが飛び降り自殺を遂げました。
早すぎる死は惜しまれ、彼女の墓には未だに献花に訪れるファンは多いと言います。

さらには当時、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれる後追い自殺が続いて杜会現象にまでなりました。

名前:岡田有希子(おかだゆきこ)
本名:佐藤佳代(さとうかよ)
生年月日:1967年8月22日~1986年4月8日(享年18歳)
職業:アイドル歌手、女優
出身:愛知県一宮市
学歴:堀越高等学校




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1986年4月8日正午過ぎの四谷4丁目交差点…
昼食を食べに出たサラリーマンらはドスンという音に驚きました。

交差点の角にある芸能プロ「サンミュージック」の入ったビルの下には、6階建てのビルの屋上から飛び降りた岡田有希子さんが頭から血を流して倒れていたのです。

会社に向かおうと、ちょうど現場付近に着いた担当マネージャーは直感的に「有希子!」と駆け寄りました。
予感はあったのです。

その日の午前10時過ぎ、岡田さんは自宅マンションで手首を切り、ガス栓を開けて押し入れの中で泣いていました。
ガスの臭いに気づいた住民が通報し、消防隊員に発見され、その日が休みだった担当マネージャーが急きょ呼び出されていたのです。

彼女は病院で手首の縫合を受けた後、危惧したサンミュージック専務らによって同社内で見守られていました。
しかし、スタッフが目を離した一瞬の隙を突き、彼女が姿を消したのです。
直後、岡田さんは屋上に駆け上がって身を投げました。

1967年生まれで当時まだ18歳…
清潔感のあるルックスが人気を集め、彼女はポスト松田聖子として売り出し中だったのです。

詳細は未だ非公開ですが、「あこがれていたのに、最近、冷たくされて悲しい。勝手なことしてすみません」と失恋をにおわせる遺書があると伝えられました。

芸能マスコミは自殺に驚くと共に相手は誰かと騒然となったのです。
同夜22時20分には、恋人として遺書に名が挙げられたといわれる24歳年上の俳優、峰岸徹さん(2008年死去)が記者会見を開きました。

峰岸さんは岡田さんとは兄妹のような仲で、恋愛関係ではないとしながらも「責任は感じます」と悲しみを交えながら語ったのです。

しかし年が違いすぎるのと、峰岸さんの日頃の誠実な人柄と落ち着いた会見ぷりから、誰かをかばって名乗り出たダミーではないかとの噂が飛び交い、相手探しはますますエスカレートし、真相はわからないままとなりました。

そして、岡田さんのショッキングな自殺は日本中に伝播したのです。
1日に18歳と12歳の姉妹が江戸川区の団地で飛び降り自殺したのを皮切りに、連日青少年の自殺がニュースになりました。

彼女の死後、2週間で30余人…
5月2日には彼女と同じビルから21歳の男性が投身自殺を遂げています。

この後追い自殺ともみられる現象は「ユッコ・シンドローム」と言われました。
統計でも1986年はその前後の年に比べ、青少年の自殺が3割増したと言います。

ちなみに、死後のテレビの歌番組などに彼女の姿が映っていたなどと怪談めいた話が話題になることもありました。
岡田さんの表立った芸能活動はたった1年だったのですが、夭逝した美少女は未だに人々の記憶に深く刻み込まれているのです。

2018年4月で三十三回忌を迎える岡田さん…
愛知県の墓には毎日のようにファンからの花が供えられています。

また、命日の4月8日には、岡田さんが最期を迎えた東京都新宿区のビル前で、男女のファンが次々と花を手向けていました。
黙とうの声に合わせて、約200人が静かに手を合わせたのでした。




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