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東京都江東区出身の落語家、4代目「桂文字助」さん…
「桂文字助」さんの名前をインターネットで検索すると、合わせて「生活保護」や「執行猶予」などという言葉が出てきます。
なかなか気になるキーワードですが…
相撲噺のスペシャリストと評された文字助さんは現在、一体どのような活動をしているのでしょうか?
名前:4代目・桂文字助(かつらもじすけ)
本名:松田治彦(まつだはるひこ)
生年月日:1946年2月13日
職業:落語家
出身:東京都江東区
学歴:神奈川県立神奈川工業高等学校
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桂文字助を襲名するまで
神奈川工業高等学校を卒業した桂文字助さんは、1964年の18歳の頃から5年間、最初の師匠であった6代目・三升家小勝さんのもとで内弟子として務めていました。
また、20歳の時には、1966年から続く大長寿番組「笑点」(日本テレビ系列)の初代座布団運びとしても活躍(1966年5月~1967年1月)していたのです。
しかし、文字助さんが25歳のときに師匠の三升家小勝さんが他界…
そのために、7代目・立川談志さんに移籍・弟子入りし、今度は「立川談平」として活動を始めました。
歴代の横綱を言い立てる芸も持つ文字助さんは、大の相撲好きでも知られ、当時から相撲噺を演じることも多くありました。
この理由として文字助さんは、師匠である立川談志さんの相撲噺におかしな部分があったため意見したところ、談志さんから「それなら俺は今後、相撲の噺はしない。その代わり、お前は明日から相撲の噺だけをしろ」と命じられたためだと言います。
このように談志さんからも一目置かれていた文字助さん…
34歳の時には真打に昇進することができ、ようやく今の「桂文字助」を襲名するに至りました。
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桂文字助が生活保護を受けた経緯とは?
そんな桂文字助さんには、相撲以外にも好きなものがありました。
それが“お酒”です。
特に文字助さんは大の日本酒好きで、中でも菊正宗の上撰を好んで飲んでいたと言います。
単に酒好きであれば問題はなかったのですが、酔うと酒癖が悪いことでも有名で、何度も飲んで喧嘩沙汰を起こしては警察にご厄介にもなっていました。
そんな文字助さんに付いた異名が「落語立川流きっての武闘派」…
「相撲噺のスペシャリスト」と言われた文字助さんの裏の顔でもあったのです。
しかも、文字助さんにとってお酒の場は、イコールお金を散在する場でもありました。
弟子におごるのが好きだった文字助さんは家にはお金を入れず、飲み歩いて豪遊して、あっという間に1000万円の借金を作ってしまうのです。
こうして喧嘩沙汰と散財を繰り返していた文字助さんは仕事もなくなり、借金に首が回らなくなってしまいます。
2011年11月21日に師匠の談志さんが喉頭癌のために他界し、さらに妻子にも逃げられて、にっちもさっちもいかなくなった文字助さんは、2013年67歳の時に、生活保護を申請するまでに至ったのです。
弟弟子(おとうとでし)に当たる立川談四楼さんは、このときのことをツイッターでこのようにコメントしていました。
文字助の女房子逃亡。何度も泊まり、上手くいってると思っていただけに驚いた。すでに壊れているからこそ私達を無理に泊めたのであり、レギュラーを酒でしくじり、文字助は家にカネを入れてなかったのだ。いつも我らに朝食を用意し、ある日ふっつり幼な児とともに姿を消したお姉さんは立派だったなあ。
仕事がないだけでなく、家賃を3年間滞納していた文字助さんには身寄りがなく、さらに足に疾患を抱えていたこともあり、生活保護の申請が下りることになりました。
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生活保護が執行猶予を受けた経緯とは?
当時、文字助さんが住む家の近くで工事がありました。
この工事の音がうるさく、我慢できくなった文字助さんは工事現場に文句を言いに行きます。
しかし、工事が静かになるわけはなく…
思い切った文字助さんは「剪定(せんてい)ハサミを持ち出して工事現場の電線を切る!」と騒ぎ立て、警察が呼ばれることとなりました。
もちろん、この時点では単なるお騒がせのレベルだったのですが…
警察がやって来ても文字助さんは反省する素振りがなく、一向に非を認めなかったのです。
警察からの度重なる出頭要請に対しても「迎えに来い」と言い放ち、電話会社には「電話が壊れているから直せ。その代わり料金払わねえぞ!」などの言動を繰り返していました。
こうして文字助さんは在宅起訴(逃亡や証拠隠滅の恐れがない場合、拘置所や警察の留置施設に勾留せず公訴を提起すること)されることとなり、裁判を受けることとなったのです。
さらに、裁判でも文字助さんのお騒がせは続きます…
検事や国選弁護人に暴言を吐き、結果として懲役1年と執行猶予3年の刑が下されたのです。
このときのことも弟弟子・立川談四楼さんがツイッターでこのようなコメントをしていました。
文字助に判決が下った。懲役1年、ただし刑の執行を3年猶予する。執行猶予3年は重い。やはり検事を罵倒したのが響いたようだ。しかし当人は意気軒昂、勝利の昼酒を食らい、高裁を経験したかったと、カラカラ笑った。反省のカケラもないのは凄いことだ。一門は恐怖する。猛獣が再び野に放たれたのだ。
このような経緯もあり、文字助さんは2015年に立川流を脱退…
弟弟子・立川談四楼さんがツイッターに投稿したところによると、本人曰く「文字助組を旗揚げした」とのことでした。
しかし、事実上の休業状態となり、文字助さんも目立った活動を行わっていません。
その後も、談四楼さんがツイッターで最新の動向をば伝えていましたが、2017年4月には、談四楼さんの独演会にゲスト出演し、元気な姿を見せたそうです。
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