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小川真澄(元パンプキン)…現在はアイドルユニットをプロデュースしてる?!

目次




 

アイドルグループ「パンプキン」の第2期メンバーとして活躍していたのが、“まーたん”こと「小川真澄」さんです。
デビュー1989年で、4年後の1993年まで活動を続けていました。
そんな小川さんは今、どのような活動をされているのでしょうか?

名前:小川真澄(おがわますみ)
本名:永見真澄(ながみますみ)
生年月日:1972年5月6日(46歳)
出身:東京都八王子市
学歴:亜細亜大学経営学部経営学科




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小川真澄…三度の結婚と次女の知的障害

学業優先のためにパンプキンを脱退した小川真澄さんは、東京都武蔵野市に本部を持つ亜細亜大学に進学します。
大学卒業後、しばらくは会計事務所で働いていた小川さんですが、22歳の時に鳥取県出身の男性と知り合い結婚…
そのまま男性の地元である鳥取県米子市で暮らし始め、3人の娘さんに恵まれました。

1997年には長女・藍里ちゃんが生まれ、1999年には次女・リんかちゃん、そして2001年には三女・のかちゃんが生まれます。
しかし、その男性とは性格の不一致により、結婚8年目で離婚…
小川さんはそのまま鳥取県米子市で暮らしました。

小川さんが地元である八王子市に帰らず、そのまま米子市での暮らしを決意したのには理由がありました。
次女・りんかちゃんには軽度の知的障害だったからです。

りんかちゃんは生まれながらに障害を持っていたわけではなく、予防接種のポリオワクチンが原因で髓膜炎に感染し、髄膜炎の後遺症によって知的障害が残ってしまいました。
予防接種を受けた当日の夜に、りんかちゃんは発熱・嘔吐を繰り返し、翌日に病院を受診すると、突発性発疹と誤診されたこともあって、処置が遅れてしまったのです。

りんかちゃんは、6年ほどで知的障害であることが判明することになります。
現在のりんかちゃんはと言うと、養護学校に通って職業訓練を受けていたり、周りの助けを必要とするものの生活するには大きな支障はないとのことでした。

このりんかちゃんに適した環境が鳥取県米子市にあり、そのため小川さんが地元である八王子市に帰らずに、米子市に住み続けることにしたのです。

さて、小川さんが一人目の夫から離婚して、しばらくすると鳥取県在住でヘアカラー専門店に務めていた男性と2度目の結婚を果たします。しかし、その男性とも5年で離婚…
この時点で小川さんはバツ2となってしまいました。

そして、さらに時が経ち「男はもうこりごり」と語っていた小川さんは、三度目の正直とばかりに、米子市在住の1歳年上の永井仁さんという男性と3度目の結婚します。

二人が出会ったのは2011年頃…
永井仁さんは「有限会社タイヤセンターナガミ」というタイヤショップの会社を経営しており、二人は2013年に結婚しています。
また、この頃には長女・藍里ちゃんは美容師の見習いとしてひとり立ちし、現在は米子市で永井仁さんと三人の娘さんと共に暮らしています。




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小川真澄…アイドルユニットをプロデュースする

厳しい芸能界で活動し、大学受験や次女の障害、二度の離婚など、まさに波瀾万丈の人生を歩んできた小川さん…
そんな彼女は癒しを求めて「フラワーレメディ」に興味を持ちました。
「フラワーレメディ」とは、心や感情のバランスを取り戻すための自然療法のことです。

この「フラワーレメディ」に強い興味を持った小川さんは、2007年1月に米子市で専門のヒーリングショップ「Cuel(キュール)」を開店…
2011年7月に法人化し、お店の経営者兼セラピストとして活動を始めました。

また、夫が経営するタイヤショップの取締役として経営参画する一方で、ローカレタレントとして、さらにはタレント養成所サンミュージックアカデミー米子校の総主任、「DARAZ FM」のパーソナリティとしても活動しているのです。

トーク番組も「ますみんちのプチパ」と「社長の哲学」、情報番組の「米子天満屋しんまち専門店街ブランニューサンデー」に出演し、どちらもインターネット放送のサイマルラジオから全国で聞くことができます。

2012年10月には自身がプロデュースしたアイドルユニット「Chelip」(チェリップ)をCDデビューさせ、山陰を代表するローカルアイドル
として地元では引っ張りだこの人気を誇るアイドルユニットに仕立て上げました。




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