テレビドラマ「3年B組金八先生」シリーズや「渡る世間は鬼ばかリ」シリーズでお馴染みの名女優・赤木春恵さんが亡くなったのは2018年11月29旧のことでした。
94歳で亡くなった赤木さんには一人娘の「野杁泉」(のいリいずみ)」さんがいらっしゃいます。
過去にはタレント活動もされていた野杁泉さん…
今回はそんな野杁泉さんに関するお話です。
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1947年に、東映の制作プロデューサーであった栄井賢(本名:小田賢五郎)さんと赤木春恵さんが結婚…
その後、すぐに生まれた娘こそ野杁泉さんでした。
今は芸能活動をされていないこともあり、ウィキやプロフィールなど詳細はわかりませんが…
2019年には62歳になる年齢です。
さて、そんな野杁泉さんは、映画プロデューサーと女優の間に生まれた娘なだけあり、しばらくは芸能活動をしていました。
しかし、現在は芸能事務所「オフィスのいり」のスタッフとして活動しています。
ここで勘の良い方なら、“のいり”というキーワードが気になったかと思います。
お察しの通り、実は芸能事務所「オフィスのいり」の社長・野杁和俊(のいリかずとし)さんこそ、何を隠そう野杁泉さんの夫なのです。
つまり、彼女は夫の会社のスタッフとして、裏方で切り盛りしているというわけですね。
「オフィスのいり」と言えば、母親である赤木春恵さんが看板女優として所属していた事務所としても知られています。
事務所所属の大物女優の娘と事務所社長…
確かに出会いの機会はたくさんありそうです。
そもそも野杁泉さんが裏方の仕事をしていた背景には、母・赤木さんの介護が一因だったと言われています。
大正13年生まれの大女優・赤木春恵さんは、2015年に自宅で転倒し、左足大腿部を骨折…
そのため、介護施設と自宅を行き来するような生活となっていました。
また、骨折のリハビリを始める際には、医師からパーキンソン病と診断されたのです。
パーキンソン病は脳の異常が原因で、身体の動きに障害が現れる病気のことです。
事実、赤木さんには手に震えがあり、要介護4と認定されていました。
要介護4と判断されるポイントは、食事や排せつ、入浴など日常生活全般において全面的な介助が必要と認められた場合に認定されます。
これだけでも、娘の野杁泉さんの介護が楽なものではなかったことが推測されます。
ただ、救いとしては、赤木さんに認知症のような症状は出ず、最期までしっかり話もできたことでした。
そんな赤木さんも2018年11月に東京都府中市内の病院で亡くなります。
家族に見守られた安らかな最期でした。
野杁泉さんは葬儀の際のコメントで、「これ以上頑張ったら、娘が倒れちゃうと思って天国にいったのかと思います」と涙ぐんでコメントしています。
それほど赤木さんの介護が、夫・野杁和俊さんの「オフィスのいり」を支えながら働く野杁泉さんにとって、大きな負担になっていたのでしょう。
ちなみに野杁泉さんには、夫・野杁和俊さんとの間に息子さんがいらっしゃいます。
名前を「野杁俊希(のいりとしき)」さんと言い、現在は大河ドラマ「軍師官兵衛」などに出演し、俳優活動をなさっています。
孫の野入俊希さんは、祖母の赤木さんからは「40歳になった時に良い役者になれるように頑張りなさい」と言われたそうです。
きっと、そんな孫の活躍を赤木さんも草葉の陰から応援していることでしょう。
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