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女流女学賞(1963年)や谷崎澗一郎賞(1992年)など受賞している小説家「瀬戸内寂聴」さん。
そんな寂聴さんの名前をインターネット上で検索すると、「瀬戸内寂聴 秘書 辞めた」と出てくることがあリます。
これは文字通りの意味で考えると、瀬戸内寂聴さんの秘書が辞めたことが話題になっているということですね。
では、このキーワードの背景には、どのような話があったのでしょうか?
名前:瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
ペンネーム:三谷晴美
生年月日:1922年5月15日(96歳)
職業:小説家、尼僧
出生地:徳島県徳島市塀裏町(現・中州町)
学歴:東京女子大学国語専攻部
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瀬戸内寂聴…秘書が辞めた意外な理由とは?!
1973年に今春聴(今東光)大僧正を師僧として、中尊寺にて天台宗で得度した寂聴さん(当時51歳)…
この時から法名を寂聴(戸籍上の氏名は1987年65歳のときに天台寺住職となった際に瀬戸内寂聴に改名)としています。
また、寂聴さんの活動は小説家に止まらず、講演やテレビなどメディアに頻繁に出るようになっていきました。。
そのため、寂聴さんの周りには秘書(スタッフ)として、幾人もの人がサポートしていたのです。
しかし、2013年に当時5~6人はいた秘書が皆一斉に辞めたいと言い出したのです。
寂聴さんが理由を尋ねると、最も古い秘書から、「寂聴さんが歳をとったため、これ以上働かせるのは辛い」という話をされたそうです。
当時、寂聴さんの年齢は91歳…
高齢の寂聴さんがスタッフ全負を養っていたのです。
「辞める」と言い出した秘書は皆、高齢の寂聴さんの体を気遣ったからなのでした。
結局、このような理由からスタッフが一斉に退職…
寂聴さんは皆の気持ちに心が打たれたと言います。
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瀬戸内寂聴…秘書の「瀬尾まなほ」とは?
2013年に瀬戸内寂聴さんの秘書は皆、辞めることとなりました。
しかし、一人最後に残ったのが、瀬尾まなほさんという女性だったのです。
名前:瀬尾まなほ(せおまなほ)
生年月日:1988年2月22日(30歳)
職業:瀬戸内寂聴さんの秘書、作家、NPO法人の理事
出身:兵庫県神戸市
学歴:京都外国語大学
瀬尾さんが2013年当時、寂聴さんと66歳差の25歳でした。
そんな彼女だけが寂聴さんの秘書として活動することとなったのです。
京都外国語大学を卒業した瀬尾さんは、寂聴さんが懇意にしているお茶屋さんでバイトをしていました。
若いスタッフを探していた寂聴さんは、そのお茶屋さんの紹介で瀬尾さんと知り合います。
2011年に行った面接に現れた瀬尾さんを見て、一目で採用を決めたという寂聴さん…
その理由は瀬尾さんが文学少女ではなかったからでした。
寂聴さんいわく、「文学少女は、掃除が出来ない、料理ができない」なのだとか…
寂聴さんは面接で瀬尾さんに「本を読む?」の質問すると「ちっとも」との返事を受け、一目で気に入ったそうです。
瀬尾さんは2013年に自分以外のスタッフが全員辞めてしまった後も、寂聴さんが住む「曼陀羅山 寂庵」で秘書として働き、今では親友のような関係になっていると言います。
瀬尾さんは寂聴さんについて、
私の最強の味方、不安もかき消されていくし、悩みも解決できるし前を向いて行ける
いやなことを周りの人からいわれたりしたこともあったんですが、それでも先生がすきだし、先生といると楽しいし、すごくやさしいんで、いつも“自分はここにいてていいんだ”と思わせてくれる場所なんですね
(秘書を)やめようと思ったことは一度もない」、「笑ってくれたら何もかもどうでも良くなるくらい嬉しいし、やっぱり笑ってる顔がすごいカワイイから。笑ってほしいと思う
と語っています。
一方の寂聴さんも執筆中に死ぬのが理想で、
(瀬尾さんに)出来たら死に目にそばに居てもらいたい
私が死ぬときには、まなほにそばにいてほしいわね。やさしいからね
と語っているのです。
このように2人の関係は2011年から現在まで9年間も続いています。
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