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野々村直通監督…あの問題発言の後に本当に腹を切っていた?!

目次




 

元は高等学校教員(美術科教諭)であり、野球指導者でもあった「野々村直通」監督。
現在は教育評論家や画家として活動し、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属しています。

そんな野々村監督は過去に「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」という発言が問題視され、監督辞任に追い込まれたことがありました。
試合に負けたことがあまりに悔しくて、思わず飛び出た失言だったのですが、実はその後に本当に腹を切っていたのです。

名前:野々村直通(ののむらなおみち)
生年月日:1951年12月14日(67歳)
職業:教育評論家、画家
出身:島根県雲南市
所属:よしもとクリエイティブ·エージェンシー(マネジメント契約)




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野々村直通監督が発した問題発言の経緯

さて、まずは野々村直通監督の過去の問題発言・失言に関して振り返ってみましょう。

広島大学を卒業後、広島県立府中東高校の教員として赴任した野々村監督。
広島県立府中東高校の野球部は、野々村監督指導の下、1978年秋の中国大会で準優勝、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され、監督として甲子園初出場を果たします。

その後、野々村監督は地元である島根県の松江日本大学高等学校の監督を経て、後の開星高校の前進である松江第一高等学校の教員となります。
松江第一高等学校では1988年4月に野球部を創部し、野々村監督は初代監督に就任しました。

さらに創部6年目の1993年に、夏の第75回全国高等学校野球選手権大会に初出場を果たします。
そして、2007年の第89回全国高等学校野球選手権大会では、初戦の徳島商業高校戦で勝利し、監督として甲子園大会初勝利を挙げました。

また、2009年の第81回選抜高等学校野球大会では、初戦で神宮大会優勝校の慶應義塾高校に勝利し選抜大会初勝利…
同年秋の中国大会で2度目の優勝し、翌年の第82回選抜高等学校野球大会に出場した際に、初戦で21世紀枠選出の向陽高校(和歌山県立向陽中学校・高等学校と対戦することとなったのです。

開星高校はこの21世紀枠選出の向陽高校に1-2で敗れたのです。
ちなみに向陽高校は開星学校を破り、45年ぶりの勝利を手にしました。

この試合後のインタビューで、野々村監督は「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」と発言…
この発言が「向陽高校に対して失礼だ」と日本中から批判にさらされたのです。




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野々村直通監督は不本意ながら切腹していた?!

野々村監督は問題発言をしてしまった後に謝罪会見を開きました。
しかし、その際に着ていた派手な彩色のシャツがまた「不謹慎だ」と槍玉にあがり、野々村監督へのバッシングはさらに過熱したのです。

結局、野々村監督は監督辞任に追い込まれ、謹慎生活を送ることとなりました。
そもそも野々村監督と言えば、“ヤクザ監督”と異名を持つほど、独自のファッションスタイルを持つ人物でも知られています。

菅原文太さんを真似た短髪ヘアーやサングラス、甲子園大会の抽選会には羽織袴や紫のラメ入りのスーツで登場したりもしました。
さらに、監督室には日章旗や旭日旗を掲げ、練習・試合中にあげる怒声で対戦相手を震え上がらせたりもしていたからです。

しかし一方で、そんな野々村監督の復帰を待ち望む人も少なくありませんでした。
開星高校の野球部保護者が中心となり、野々村監督の監督復帰嘆願署名運動が起こったのです。

署名運動には約8000名分の署名が集まり、その中には21世紀枠で出場した向陽高校の保護者の署名も入っていたと言います。
そうして事件から1年後の2011年、野々村監督は監督復帰すると共に、同年夏の甲子園で1勝をあげ、次戦もこの大会で優勝することになる日大三を相手に善戦ました。

そうして、この年に野々村監督は開星高校を定年退職しています。
実はその頃、野々村監督は夏の甲子園が終わった後に、鼠径ヘルニア(脱腸)の手術を受けていました。
そのため、結果的に「腹を切っていた」のです。

もちろん、野々村監督自身は本意ではなかったでしょうが…
意外と知られていない野球指導者・野々村直通監督の裏話でした。




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