女優で歌手の「折原真紀」さん。
1991年3月10日に結婚を機に芸能界から引退し、引退後は地元の岩手県でブティック経営していました。
今回はそんな折原さんの夫やこれまでの活動を振り返ってみたいと思います。
名前:折原真紀(おりはらまき)
生年月日:1955年(64歳)
職業:女優、歌手
出身:岩手県
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折原真紀さんは1991年10月4日に双子の男の子を出産しています。
同年に結婚と引退を発表したところを見ると、デキちゃった婚かもしれません。
ちなみに双子の男の子はMLBのロサンゼルス・エンゼルス所属の大谷翔平選手と同じ、奥州市の水沢南中学校に通っていました。
さて、結婚・引退後は地元の岩手県に戻り、夫婦でブティック「ソフィア」(岩手県奥州市水沢区字大畑小路40-6)を開業した折原さん。
取り扱う商品はハイブランドで、折原さん自身が首都圏で買い付けしていました。
当時はバブル期であったこともあり、経営戦略が見事に当たり、支店は7店舗まで拡大でき、最盛期の売上2億円程度あったと言います。
しかし、程なくしてバブルは崩壊…
さらに2000年代になると、ユニクロやH&Mといったファストファッションブームが到来し「ソフィア」の売上は瞬く間に減少していきます。
店舗も次々と閉鎖し、とうとう1店舗だけになってしまいました。
しかも、この時点で借金は4000万円にも膨れ上がります。
さらに、折原さんに追い打ちをかけたのは、結婚当初から食堂ガンの告知を受けていた夫が2015年10月に他界してしまったことです。
ガンの告知を受けた時には「余命1年」と言われた夫でしたが、その後は手術を10回以上行い、入退院も30回以上繰り返して、余命告知から24年も生きることができました。
皮肉にも、4000万円の赤字を抱えるブティックは、夫の生命保険金がちょうど4000万だっため、借金返済に充てることができたのです。
折原さんの夫についてですが、こちらはフォークグループ「影法師」のベースを担当していた人物だと言われています。
調べてみると、1975年に結成されたはフォークグループに「影法師」の名があり、そこでベースやパーカッションを担当している「石川晴司」さんという方の名前がありました。
この人物が折原さんの夫であるという確証はありませんでしたが、インターネットの電話帳検索で調べてみると、岩手県奥州市水沢区で同姓同名の方が出て来ることからも、おそらくこの「石川晴司」さんが折原さんの夫なのではないでしょうか。
さて、夫が他界した後も一人でブティック経営をしていた折原さんでしたが、売上はほとんどなくゼロの月もあったと言います。
ブティックを続けるには毎月160万の売上が必要で、月30万ほどの赤字が1年続き、累積赤字も370万円にのぼりました。
貯金を切り崩して、やりくりしていましたが、2017年3月10日結婚記念日に店を閉店しています。
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