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柳生博…息子(柳生真吾)が急死したワケとは?!




 

タレントで父親の柳生博さんの影響を受けて、植物や動物などの自然に興味を持ち園芸家となった「柳生真吾」さん。
花の生産農家で3年間修行の経て園芸家となると共に、タレントとして執筆活動やテレビなどで活躍していました。

しかし2015年5月2日、咽頭がんのため47歳という若さで亡くなってしまいます。
果たして、柳生真吾さんが急死する要因ともなった咽頭(いんとう)がんとはどのような病気だったのでしょうか?

名前:柳生真吾(やぎゅうしんご)
生年月日:1968年3月3日~2015年5月2日(享年47歳)
職業:園芸家、タレント
学歴:玉川大学農学部卒業




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柳生真吾さんは30代後半頃から癌(がん)を患っていました。
それでも2000年から8年間、NHK「趣味の園芸」で番組の進行役を担当していた他、八ヶ岳の麓(ふもと)にレストラン併設のアートギャラリー「八ヶ岳倶楽部」を開設し、こちらの代表も務めていたのです。

妻や4人の子供にも恵まれ順風満帆だったのですが、亡くなる数年前に体調に異変が現れ、最初はポリープだと思ったものが検査の結果、咽頭がんと診断されました。

咽頭(いんとう)とは鼻や口の奥にある部分のことで、飲食物と空気が通る部位を指します。
咽頭は部位によって上から上咽頭(じょういんとう)、中咽頭(ちゅういんとう)、下咽頭(かいんとう)と言い、それぞれ病名も上咽頭がん、中咽頭がん、下咽頭がんに分類されます。

真吾さんの咽頭がんが、どの部位であったのか明確ではありません。
ちなみに国立がんセンターが運営する「がん情報サービス」によると、新たに咽頭がんだと診断される人数は年間で10万人あたり、上咽頭がん1人、中咽頭がん1人、下咽頭がん2人だそうです。
そう考えると、真吾さんの死因が極めて稀なケースであったことが伺えます。

ただ、これまでを振り返ると芸能界でも咽頭がんを患った人も少なくなく…
ミュージシャンの坂本龍一さん(中咽頭がん)、音楽プロデューサーのつんく♂さん(喉頭がん)、タレントの大橋巨泉さん(中咽頭がん)、落語家の立川談志さん(喉頭がん)、ロック歌手の忌野清志郎さん(喉頭がん)、俳優の勝新太郎さん(下咽頭がん)などが同じ病気で苦しみました。

病院の検査の結果、同じく咽頭がんと診断された真吾さん…
そこから治療の日々が始まりました。
治療と並行して雑誌のコラム執筆などの仕事は継続していましたが、亡くなる1年ほど前からは講演活動などは控えるようになります。

さらに咽頭がんの影響で口頭での会話が難しくなり、途中からは筆談でコミュニケーションを取るようになりました。
父親の柳生博さんと真吾さんとの最後の会話は「親父、ホトトギス鳴いた?」というもので、まだ鳴いていないことを伝えると真吾さんは「今晩あたり、鳴くかもね」と書き残したと言います。

徐々に仕事よりも治療の方に専念していきましたが、5月2日に容体が悪化…
父親・博さんも入院先の山梨県甲府市内の病院に駆け付け、一旦は状態が落ち着いたため帰途に着いたのですが、再び容体が急変し2日の午後11時40分、帰らぬ人となったのです。

当時、博さんは「息子自慢をしていいですか」と語り始め、「僕の子供としてありえないような勉強家で…立派っていうのはこういうことを言うのかな」とコメントしていました。
そうして息子の死に対し「早すぎる」と声を詰まらせていたのです。

また、自分の命がそれほど長くはないことを悟っていた真吾さんは、2014年2月にシンガポールにいる弟・柳生宗助さんの元を訪れ、八ヶ岳倶楽部を手伝うように頼んでいました。
当時、宗助さんは商社マンとしてシンガポールに赴任していたのです。

真吾さんが亡き後、宗助さんは会社員を辞め、八ヶ岳倶楽部代表を引き継いでいます。
5月18日午後1~7時には八ヶ岳倶楽部にて「柳生真吾お別れ会」が開かれ、約1300人が出席しました。




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