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高杢禎彦…嫁の長谷川恭子と馴れ初めから結婚まで




 

元チェッカーズのサイドボーカル「高杢禎彦」さん。
プライベートでは1990年12月にレースクイーンをしていた長谷川恭子さんと結婚しています。

さて、そんな高杢さんと嫁の恭子さんとの馴れ初めはどのようなものだったのでしょうか。

名前:高杢禎彦(たかもくよしひこ)
生年月日:1962年9月9日(56歳)
職業:タレント、俳優
所属:高杢企画
出身:福岡県久留米市
学歴:柳川高等学校




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高杢禎彦さんと長谷川恭子さんの結婚は、所属事務所のスタッフでさえ、翌年1991年の仕事初めに知らされたというほど電撃的な結婚でした。
しかも、1月11日に「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のテレフォンショッキングで、タモリさんが「ボーカルの藤井郁弥(現:藤井フミヤ)さんに続いて結婚するのはメンバーの誰だろう?」と高杢さんに話を向けると「僕を含めて、わかりませんね…」と言葉をにごしていたのです。

けれども、実はこの時点で高杢さんは恭子さんと入籍を済ませていました。
というのも、週刊誌では1月12日に、恭子さんの母親の陽子さんが「確かに2人は結婚しています。でも、私からは詳しい話はできません。いずれはっきりと披露させて頂くことになると思います」というコメントも出ていたからです。

その際に陽子さんは笑顔を絶やさず、さすがに娘の結婚に嬉しさを隠し切れずに、記者に深々と頭を下げていたと言います。
2人が入籍したのは1990年の12月25日のクリスマスでした。

高杢さんの嫁となった恭子さんは、埼玉県鴻巣市では有名な「いろは旅館」の一人娘として育ち、近所でも評判の美人として知られていました。
当時は短大に通いながら電子機器メーカーのキャンペーンガールやモデルとしても活躍していたのです。

2人が初めて出会ったのは1989年11月、高杢さんがDJを務めるラジオ番組に恭子さんがゲスト出演した時で、お互いに一目惚れしてデートを重ねるようになりました。
高杢さんの愛車のベンツでドライブしたり、鴻巣市内のカラオケスナックでデュエットを楽しんだりと交際を重ねていたのです。

2人の関係は恭子さんの両親も公認の間柄で、必ず家まで娘を送り届けてくれる高杢さんの誠実な態度に感心させられたと言います。
結納の際も、お酒と鯛を添えて、高杢さんの出身地である九州(久留米市)独特の作法をキッチリと守っていました。

音楽関係者の中からは、「高杢は郁弥(現:藤井フミヤ)と違って、俺について来いというタイプで、典型的な九州男子という感じですね。そういえば恭子さんを連れてメンバーの尚之と麻布十番のお蕎麦屋さんで食べてるのを見たことがあります。その時は友だち同士という感じだったけどなあ…秸婚を急いだのは、きっと郁弥とまち子さんの仲の良い新婚アツアツぶりを見せつけられて、俺もすぐにというわけで時期を早めたのではないですが…」とコメントも出ていました。

実はさらにもう1つ大きな理由があったのです。
恭子さんはこの時すでに妊娠3ヵ月で、高杢さんは仕切りに「おはよう」、「おやすみ」と、お腹の赤ちゃんに声をかけていました。

「予定では今年の春にファンの方に婚約発表して、秋に結婚式になるはずでしたが…今は2人よりのことよりも、お腹の子の方が大事ですからカゼをひかないように気をつけています」と恭子さんもコメントしています。
高杢さんに対しても、恭子さんは「彼は一番信頼できる人です。最後まで添いとげて、一緒のお墓に入りたい」と語っていました。

このような馴れ初めがあった高杢禎彦さんと嫁の長谷川恭子は結婚し、2人の間には一男二女が生まれています。




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