1984年に千昌夫さんのプロデュースによって発売された“俺ら東京さ行ぐだ”が大ヒットし、一躍スターダムにのし上がった「吉幾三」さん。
演歌系では数少ないシンガーソングライターとして活躍している吉さんですが、プライベートでは1985年に結婚10年目にして妻の寿佐子(ひさこ)さんと結婚式を挙げているのです。
名前:吉幾三(よしいくぞう)
本名:鎌田善人(かまたよしひと)
別名:山岡英二
生年月日:1952年11月11日(66歳)
職業:演歌歌手、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、ラッパー、タレント
事務所:吉プロモーション
レーベル:徳間ジャパン
出身:青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)
学歴:金木町立金木南中学校(現・五所川原市立金木中学校)
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名曲「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットして脚光を浴びた歌手の吉幾三さんと、妻の寿佐子さんが入籍から10年遅れの子連れ結婚式を挙げたのは1985年5月5日のことでした。
この日は吉さんの故郷・青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)は町をあげての大騒ぎ…
「テレビも無ェ、ラジオも無ェ…」ということはない町でしたが、当時の人口でも14000人という静かな町です。
古川竹夫・金木町長(当時)を始めとする地元の名士を含む約70人が参列し、近くからもお祝いに駆け付けたファンが約1000人…
町に入るただ一本の道が一時通行止めとなるという有様でした。
この騒ぎに警備には地元のおまわりさん20人が駆け付けたほどです。
「この何十年、ねぶた(祭)の時以外に、こんな人だかりは見たことね」と地元の人が言えば、おまわりさんも「こったらスゴイ結婚式は町始まって以来だ。政治家だってやったことはない」と目を白黒させていたと言います。
結婚式の会場となったのは、吉さんと同郷の大作家・太宰治の生家で、当時は旅館となっていた「斜陽館」(現在は五所川原市太宰治記念館)。
ここで結婚式を挙げたのは吉さん夫婦が初めてでした。
そもそも、2人の出会いは1973年の夏、小笠原ツアーの船上です。
行きの船では一言も話さなかった2人ですが、帰りに台風に襲われて船酔いした吉さんがデッキでギターを弾きながら即興の歌を歌っていたのを、やはり船酔いでデッキに出ていた寿佐子さんが聴いたのが馴れ初めでした。
当時、吉さんは東京都江東区のレコード店に勤務しており、寿佐子さんは宮城県仙台市で製薬会社に勤務していたのです。
2人のデートは吉さんが義兄の家からこっそりかけていた長距離電話デートだったと言います。
当時の吉さんは職業を転々と変え、まさに「金も無ェ、ある訳無ェ、たまに来るのは借金取り」のような生活でした。
こんな状態が1年ほど続いた後、一大決心をして宮城県塩釜の寿佐子さんの実家に行き、粘りに粘って結婚の承諾を得たのです。
しかし結婚後、「俺は絶対!プレスリー」(1977年)で話題となりましたが、その後は鳴かず飛ばずの状態が続きました。
そんな時、寿佐子さんはグチもこぼさず、OLをやりながら生活を支えていたのです。
それから10年、当時はできなかった結婚式をようやく挙げることになりました。
吉さん自身は子供たちが大きくなったら式を挙げてもらうつもりだったのですが、苦労させた妻に報いたいという気持ちと、病気がちの父親・稲一さん(当時75歳)のためにということもあり、この5月5日に10年目の挙式ということになったのです。
挙式は午後1時から東北の大先輩の千昌夫さん、ジョーン・シェパード夫妻(当時)の晩酌で、昔から津軽地方に伝わる祝言の型で行われました。
新郎新婦の入場の時には、長女の幾美(いくみ)ちゃん(当時8歳)がウェディングマーチをエレクトーンで弾き、次女の三美(みみ)ちゃん(当時7歳)、長男の大介くん(当時4歳)も横で楽しそうにはしゃいでいたのです。
結婚式を前にして玄関前に紋付き羽織袴姿の吉さんと白無垢姿の寿佐子さんが現れると「おめでとう!」と大歓声が上がりました。
吉さんはファンに手を振って、
どーも、皆さんありがとうございます。本当に皆さん全員をご招待したかったんですが、あいにく狭い所なので勘弁してください。これが俺の新妻です。シワだらけの新妻ですので、固いものでなければ、何を投げつけても結構です。
と語っていたのです。
しかし式では盛大な拍手で2人を迎えられ、寿佐子さんは目頭に手をあて、吉さんも三三九度の盃を受ける時には感極まって涙をぬぐっていました。
乾杯の挨拶を任された千昌夫さんは当時を振り返って、
昔、彼の家に電話すると奥さんが出て、その声がまるで借金取りに追われているように暗かった(笑)「俺ら東京さ行ぐだ」がヒットしたんで電話してみると、奥さんの声が涙ぐんでて、俺も思わず涙が出そうになりました。本当に今日は良かった。4、5千万の仕事をキャンセルした甲斐があったよ。
と冗談交じりに挨拶をしたのです。
9人兄弟の末っ子・吉さんの晴れ姿に、何度も目をうるませていた母親・セルさん(当時61歳)は、
東京へ出て来て行った時はギター一丁かついで行ったんです。まさかこんな嬉しい日が来るなんて…体中いっぱい嬉しいです。
と語り、父親・稲一さんも、
昨日の晩、善人(吉さんの本名)が「俺も何とかここまで来たが、まだまだ未熟者だぁ。これからも頑張るからどうか長生きしてけれや」って言ってくれました。
と涙したのでした。
10年ぶりに結婚式ができ、親孝行もできて感無量と語る吉さんは、
昨日、記念写真を撮った時、女房に「ご苦労さん」って言ったら、首を横に振りながら「たいして苦労しなかったよ」って言ってくれて…
とまたまた目頭をうるませていたのでした。
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