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藤村有弘…天涯孤独の中、死去する?!




 

コメディアンや俳優、さらには声優として活躍していた「藤村有弘」さん。
NHK総合テレビで放送された人形劇「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョの声(初代)や、インチキ外国語の芸の元祖としても知られている藤村さんが亡くなったのは1982年3月16日のことでした。

名前:藤村有弘(ふじむらありひろ)
愛称:バンサ
生年月日:1934年3月6日~1982年3月16日(享年48歳)
職業:コメディアン、俳優、声優
出身:東京都千代田区神田




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藤村有弘さんが横浜市戸塚の前島病院に主治医を訪ねたのは、1982年3月10日に朝のことでした。
2、3日前からの風邪が悪化したのか、前日から非常な疲れとだるさを感じていたのです。

診察した前島医師はすぐに彼の病状がただならぬ状態であると判断し、万全の態勢と取るために、その日の午後に戸塚共立第2病院に彼を運び込みました。
しかし、その時にはすでに意識が混濁しており、翌16日の午後5時35分、藤村さんは意識を回復することもなく、この世を去ってしまったのです。

享年48歳という若さで死去した藤村さん。
死因は糖尿病性昏睡(主に糖尿病に伴う高血糖が原因で起こる昏睡)でした。

その死を看とったのは事務所の人間が5人だけ…
遺体は17日に病理解剖されましたが、コメディアンとして、また名脇役として一世風靡し、華々しく活躍をした人気者にしては、寂しい最期だったのです。

晩年、藤村さんと最も親しかったマネージャーの田中さんは、

一人者で寂しかったんでしょう。いつもお酒を飲んでました。32年頃(1957年頃)には、くるみさんという方と7年間の結婚生活があったんですが…とても気をつかう人でいつも周囲を楽しくしてくれる人でした。

と肩を落としました。

また、日活時代に多く共演したことのある俳優の二谷英明(にたにひであき)さんは、

日活のOB会で、去年の暮れも正月も会ったんです。驚きました。誰も近親者がいなので、僕らで送ってあげようと思ってます。

とコメントし、同じく俳優の藤竜也さんも、

3週間前に六本木のディスコで飲んだけど、あんまり踊らず寂しそうでした。「伊豆に新しく家を作ったからおいでよ」と誘われたんですが…

と語りました。

その日に放送された「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)が最後のテレビ出演となり、遣作はテレビ朝日系列でこの年の秋に放映が決定されていた松本清張原作の「寒流」でした。

また、自らがゲイであることを公言していた藤村さん。
葬儀では友人であった大橋巨泉さんが、

パンサ(藤村さんの愛称)は彼がゲイである事を隠さなかった。しかし、日本にはまだ同性愛者に対する強い偏見がある。だから僕は今夜、藤村有弘を立派な同性愛者として送ってやりたい。

とスピーチしたのでした。




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