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中本賢…嫁の奈良崎佐輝子との馴れ初めと結婚について





テレビドラマ「炎立つ」や「下町ロケット」などに出演していた俳優の「中本賢」さん。
プライベートでは1983年に奈良崎佐輝子さんと結婚しています。

今回はそんな中本さんと嫁の佐輝子さんの馴れ初めや結婚秘話に関するお話です。

名前:中本賢(なかもとけん)
旧芸名:アパッチけん
生年月日:1956年6月5日(62歳)
職業:俳優
所属:オフィスPSC
出身:東京都台東区浅草
学歴:石川島工業高等学校




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中本賢さん(当時26歳)と嫁の奈良崎佐輝子(さきこ)さん(当時26歳)が結婚したのは、1983年4月21日のことでした。
中本さんは当時、「アパッチけん」の名前でタレントとして活動しており、佐輝子さんは元関脇の故・出羽錦忠雄さん(田子ノ浦忠雄)の娘だったのです。

二人の出会いは中学時代にまでさかのぼります。
家が共に東京都台東区だったため、蔵前中学で1年と2年の2年間、同じクラスで机を並べていた二人。

当時の中本さんはクラス一のワルで、大道芸をやったりする日立ちたがり屋。
一方の佐輝子さんはクラス一の才女でした。

「彼女には年中、英語を教えてもらって、もう憧れっぱなしだった」と語る中本さん。
その後、佐輝子さんは成城学園高校から成城大学へ、中本さんは石川島工高からタレントへの道へ進みました。

ところが1976年に中本さんが「ギンザNOW」(TBS系)の「しろうとコメディアン道場」で優勝した直後、二人は銀座でばったり再会するのです。
この時、中本さんの恋心に火がつき、押しの一手で佐輝子さんにアプローチしました。

その方法とは、デート2回目で「結婚しよう!」と言ったり、会うたびに「子供は3人欲しい」などと言い続けるものだったのです。
後に佐輝子さんも、このようなことが繰り返されたことで、「私、けんさんと結婚しないといけないのかも、と思ってしまったんです」と語っています。

こうして、中本さんは1981年2月に正装で、佐輝子さんの自宅である田子ノ浦親方宅を訪ねました。
もちろん「お嬢さんと結婚させてください」と申し込みに行ったのですが、圧倒されて話を切り出せません。

何しろ力士引退後、解説者として活躍していた田子ノ浦親方は考えられないほどの厳格さで有名で、「鬼の出羽錦」との異名を取るほどだったのです。
さらに、この厳しい指導や教育は、自身の子供にも行われていました。

そんな親方の前でなかなか話を切り出せない中本さん。
反対に親方の方が「いつ結婚するんだ?」とロ火を切ったと言います。

中本さんはこの時のことを

「早くしたいが月給は5万円、多い月で12万円しかない」と言うと、親方は「ワシも結婚したときは荷物1個しかなかった。10年後、こいつ(佐輝子さんのこと)が幸せならそれでいい」と、許してもらったんです。

と語っています。

こうして結婚を1カ月後に控えた二人は、まさに相思相愛の恋人といった感じでした。
とは言え、中本さんと言えば、自他ともに認めるズボラな人物、一方の佐輝子さんは厳しく家庭で育った清楚な女性と正反対の二人でもあったのです。

何しろ、中本さんはデート時間をほとんど守らず、ヘタすると約束したことも忘れてしまうような性格で、「縦のものを横にもしませんね、僕は」と自分で言うくらいの面倒くさがり。

そのため、電話するのはもっぱら佐輝子さんでした。
その電話に出た中本さんですが、一度、電話中に用事を思い出して、佐輝子さんを待たせて電話ロを離れたらすっかり忘れてしまったということがありました。
気がついたら40分も時間が経っており、佐輝子さんがその間、待っていたというエピソードもあったのです。

また、ある時は中本さんが佐輝子さんに朝起こしてくれと頼んだことがありました。
佐輝子さんは中本さんの部屋まで行ったものの、突いて起こすことができず「心の中で、けんさん起きてと念じていました」というような話もあるのです。

厳格な相撲の世界で育ったせいもあり、男の人が寝てる上をまたぐことができず、食事も佐輝子さんの弟が食ベるのを待ってから食べていました。
そのため中本さんがキツイことを言うと、少女漫画の主人公みたいに大粒の涙をポロポロ流すのだと言います。

他にも、かつて中本さんが「料理を作れない女はダメだ」と言うと、佐輝子さんは料理のファイルを集めて研究。
大嫌いな鯖(さば)などの光り物を調理する時は、「テカテカが見えないように」とサングラスをして料理をしていました。

また、佐輝子さんは鳩が苦手。
浅草寺に近い中本さんの実家に行こうとしたら、鳩が3羽いて歩いていけず、わずか数十メートルのところをタクシーで行ったというユニークな人でもあるのです。

中本さんも「今夜こそキスしよう!」と決心して会っても毎回ダメで、初めてキスしたのは付き合ってから4年目だったと言います。
そのため、当時はまだ一緒に夜を明かしたことがないといった関係でした。

そんな二人でしたが、1月10日の佐輝子さんの誕生日に中本さんからガーネットのエンゲージリングが贈られ、1983年4月21日に東京都中野区にある日本閣(現:west53rd日本閣)で神前挙式を挙げたのです。




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