愛称である「カンボ」や「美剣士」、「五月人形」などと呼ばれ、人気のあった第56代横綱の元・大相撲力士「(二代目)若乃花幹士」さん。
そんな若乃花さんが親方の長女とスピード離婚し、銀座のクラブのママをしていた末田美輪さんと結婚(再婚)したのは1982年のことでした。
名前:二代目・若乃花幹士(わかのはなかんじ)
本名:下山勝則(しもやまかつのり)
生年月日:1953年4月3日(66歳)
職業:元大相撲力士
出身:青森県南津軽郡大鰐町
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2代目・若乃花幹士さんが、師匠・二子山親方の長女の幸子さんと、わずか1年2カ月で離婚したのは1981年12月24日のことでした。
同時に離婚の原因が、当時、銀座7丁目にあったクラブ「みわ」のママをしていた末田美輪さんだったことも報道されていたのです。
さらに、その美輪さんの妊娠報道が流れたのは、翌年の1982年3月のことでした。
若乃花さんの周囲の話によると、「子供を私生児にするのは可哀想。正式離婚したことだし、入籍して相撲に徹することが大切だ。後援者筋から強い希望もあって横綱はハラを決めたようだ」との声があがっていたのです。
美輪さんの出産子定日は1982年6月24日とされており、若乃花さんとの結婚報道が出た時には、臨月の大きなお腹を抱えて、東京・代々木のマンションで暮らしていました。
一方の若乃花さんは、この件に関してはノーコメント。
場所後も二子山部屋近く1DKのアパートから、バイクで部屋に通っていたのです。
離婚して徐々に精神的にも落ち着きを取り戻して来た若乃花さん、成績も悪くはありませんでした。
浪岡町出身で同郷、同じ夜行列車で上京して二子山部屋に入門した同期の隆の里さん(当時大関、後に第59代横綱)も「横綱は明るくなった」と、その変化に驚くほどだったと言います。
ただ、親方とは相変わらずロをきかず、入籍の話を正式に通した様子もありませんでした。
部屋関係者からは、親方の長女・幸子さんの件はカタがついているので、入籍に対して親方は反対していないとの声もあり、親方の意向は「横綱の名に恥じない相撲を」という点だけだったと言います。
また、親方夫人も割り切って、「(横綱が)幸せになってくれればいい」と語っていました。
元嫁となった幸子さんは一時、西武渋谷店のFENDI(フェンディ)に勤めていましたが、1982年4月から赤坂店に移っています。
一部報道で、「傷心のOL生活」との記事が出ましたが、本人はその記事を笑いながら読んでいたそうです。
こうして若乃花さんは年上の美輪さんと結婚(再婚)。
親方の長女とスピード離婚し、銀座のママと再婚するという思いがけないニュースでしたが、協会内に引き止める者は少なかったと言われています。
また、その後二人の間には娘が一人生まれました。
ちなみに、美輪さんは銀座のママをしていただけあり、とても美人だったとか。
巡業先に当時では珍しいルイ・ヴィトンのバッグを下げて、本当に目を見張るほど綺麗な人だったと、当時を知る親方も語っています。
ただ、なかなか先代に独立を許されず、1983年12月に二子山部屋から分家独立した際には、銀座のお店も売って尽力した美輪さん。
ノーメイクで銀座のママ時代とは別人のように、裏方で徹して若乃花さんの間垣部屋(まがきべや)を支えていましたが、2005年頃に亡くなっています。
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