アメリカプロレスの殿堂入りを果たした日本人の一人、“完全無欠のエース”や“怪物”とも称されたプロレスラーの「ジャンボ鶴田」さん。
そんなジャンボ鶴田さんと、元スチュワーデスの荒牧保子(あらまきやすこ)さんが結婚したのは、1984年9月のことでした。
名前:ジャンボ鶴田(ジャンボつるた)
本名:鶴田友美(つるたともみ)
生年月日:1951年3月25日~2000年5月13日(享年49歳)
職業:プロレスラー
所属:全日本プロレス
学歴:中央大学法学部政治学科
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1984年9月23日に結婚したジャンボ鶴田さん(当時33歳)と、妻の荒牧保子さん(当時26歳)。
二人はこの2ヶ月前の6月24日に結納を交わしていました。
二人の馴れ初めは、この時からさかのぼること6年前の1978年。
保子さんの友達がジャンボ鶴田さんのファンで、誘われてプロレスを見に行ったことがきっかけになります。
帰りに保子さんが友達と一緒に書いたファンレターを渡すと、保子さんの家にジャンボ鶴田さんから電話がかかってきたのです。
この時、保子さんは神戸にある甲南女子大学の2年生でした。
ジャンボ鶴田さんは27才。
プロレスは男らしいと感じており悪い印象はありませんでしたが、さすがに突然の電話には驚いた保子さん。
そのためジャンボ鶴田さんとの初デートは、お姉さんと同伴だったのです。
しかし想像とは違い、意外にも純真なジャンボ鶴田さんに心が揺れたという保子さん。
何回かのデートの後、ジャンボ鶴田さんが保子さんに渡した初めてプレゼントは痴漢撃退用の防犯ベルでした。
何しろ彼女に痴漢や悪い男がつかないようにと思いまして…
と語ったジャンボ鶴田さん。
このようなジャンボ鶴田さんに、保子さんの好感度も上がりました。
やがて大学を卒業した保子さんは国際線のスチュワーデスになります。
この頃には二人の交際は深まっており、その2年後のある日、突然、ジャンボ鶴田さんがプロポーズのような電話をかけてきたのです。
結婚を前提に付き合って欲しい。それに女性の幸せは結婚して家に入ることだと思うんだ。
と。
しかし、保子さんは
でも私、もっと飛んでいたいの、もっと仕事をしたいんです。
と答えたのです。
当時の保子さんは仕事に情熱を持っており、男女の意見の食い違ってしまいました。
こうして二人はこの後、2年半もブランクがあいてしまうのです。
しかし、心の中では互いに気になっていた二人…
いつも彼のことを思ってたわけではありませんが、2年経って彼のことが大切な人だってことがわかったんです。将来の設計も人生の目標もある人です。私は今の仕事を辞めても悔いはないと思うようになりました。
と、語った保子さん。
その想いに応えてジャンボ鶴田さん1984年3月、正式に保子さんの両親に結婚を申し込んだのです。
彼には3つの約束をしてもらいました。まず、ゴルフばっかり行かないこと。人の見ているところでも手をつないで歩くこと。そして私のことを“オイ”とか“お前”ではなく名前で呼んで欲しいの。
と話す保子さん、その横でジャンボ鶴田さんは、
美人というより可愛い人です。
と、デレデレでコメントしました。
こうして二人は1984年9月23日に結婚。
仲人は恩師であったジャイアント馬場さん夫妻が務めています。
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