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清水紘治と大谷直子の馴れ初めと結婚・離婚まで

目次




 

テレビドラマ「風と雲と虹と」や「真田太平記」などに出演していた俳優の「清水紘治」さん。
また、同じくテレビドラマ「信子とおばあちゃん」や「草燃える」などに出演していた女優の「大谷直子」さん。

そんな二人が結婚したのは1979年のことでした。
二人は再婚同士で、それぞれに前の夫・妻との間に子供がいたのです。
果たして、そんな二人の馴れ初めとはどのようなものだったのでしょうか。

名前:清水綋治(しみずこうじ)
生年月日:1944年2月11日(75歳)
職業:俳優
所属:活動屋
出身:京都府京都市左京区
学歴:京都府立嵯峨野高等学校

 

名前:大谷直子(おおたになおこ)
生年月日:1950年4月3日(69歳)
職業:女優
所属:フロム・ファーストプロダクション
出身:東京都足立区
学歴:東京都立赤羽商業高等学校




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清水紘治と大谷直子の馴れ初めと婚約

清水綋治さん(当時34歳)と大谷直子さん(当時28歳)が結婚したのは1979年のことでした。
実は大谷さんにとって清水さんは、結婚する約10年も前から憧れの人だったのです。

大谷さんは1969年に、赤羽商業高校在学中に岡本喜八監督の映画「肉弾(にくだん)」でデビュー。
その後は、NHK朝のテレビ小説「信子とおばあちゃん」で一躍人気者になりました。

実はテレビ初出演はその直前のポーラテレビ小説「三人の母」(TBS)。
そこでの相手役であり、新人の大谷さんに何かと気をつかってくれたのが清水さんだったのです。

清水さんは1944年生まれで当時は24歳。
大谷さんはその時のことを振り返り、

高校生だった私から見ると、すごく素敵なお兄さんに見えてとっても憧れていたんです。でも、共演はそれ1回しかなくて、去年(1978年)の夏の終り頃、街中でバッタリ会った時は、とても懐かしかった。

と語りました。

一方の清水さんは、

10年前、僕は大谷直子を学校の宿題を持って仕事場に来ている女の子としか見ていなかったわけです。お互いこの10年間に色々あって、今度再会した時は、一人の女として見られるようになっていたということですね。

とコメントしたのです。

それからの二人は、踊りに行ったり、飲みに行ったり、お互いの部屋を訪ね合ったりと交際が始まりました。
10年間の空白を取り戻そうとするかのように、一気に関係が深まっていったのです。

そうして1978年の11月20日、清水さんから大谷さんに指輪が贈られました。
この指輪は、清水さんの知り合いの時計屋が廃業するにあたって、部品を使って作ってくれたてもので原価は3000円。

大谷さんは、とても可愛らしい指輪で嬉しかったのですが、一応、

これ、どういう意味なの?

と訊ねました。

それじゃ、婚約の指輪ということにしようか。

と、清水さん。

さらに統けて、

俺は決意したんだけれど、どうだ?

と言うと、

ずいぶん早い決意ですね。

と大谷さんがその決意を受けて、婚約成立となったのです。




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清水紘治と大谷直子の再婚から離婚まで

清水紘治さんは京都の嵯峨野高校卒業後、俳優座養成所に入り、文学座を経て、1966年夏に劇団自由劇場を旗揚げしました。
その後は「黒色テント劇団68/71」(現・黒テント)の設立にも関わるなどしていましたが、1978年2月に休団宣言を行い、劇団青俳に所属していたのです。

役どころとしては、ニヒルな影のある人物、メロドラマなら貞淑なヒロインが彼のために悶え苦しんだり、刑事モノならば気弱な犯人といったように多彩な才能を発揮していました。

また、実際に清水さんは自由劇場時代、子供のいる人妻と結婚しています。
これは人妻の方がそんな清水さんの魅力に惚れ込み、押しかけて来たのでした。
当時の清水さんは女性からも大人気だったのです。

結局、この人妻の女性と結婚した清水さん。
二人の間には葉子ちゃんという女の子(当時6オ)が生まれましたが、1976年に別れています。

ちなみにこの女性は、名前を出せば誰でも知っているような某・新興財閥の縁者なのだとか…
お金も子供のある身で、前夫を捨てて清水さんを選んだのです。

ただ、情熱的である一方、わがままな女性でもあったようで、清水さんは何度も自分の稼ぎだけで暮らそうと提案しましたが、受け入れられず…
結局、育った環境や考え方の違いから離婚してしまいました。
二人の間に生まれた葉子ちゃんは母親が引き取っています。

一方、大谷直子さんは1971年に俳優の松山省二(現・松山政路)さんと結婚。
1973年7月に一人娘の桃子ちゃん(当時5歳)が生まれましたが、1974年12月に桃子ちゃんを連れて離婚しています。

離婚原因は大谷さん恋多き女だったから…
とも言われ、当時は俳優の近藤洋介さんと噂になっていました。

ただ、記者会見で近藤のことを聞かれた大谷さんは、

近藤さんはとってもいい人です。私にとって一生いい人でしょう。でも、愛ある交際は1年くらい前に終っています。

と答えていたのです。

そうして、大谷さんは清水さんと約10年振りに再会。
あれよあれよという間に婚約、結婚に至りました。

大谷さんが記者会見で、

娘には清水さんのことを「ママの大好きな人」と紹介してあります。娘は幼稚園の仲よしと同じ意味に受け取っているようですね。

とコメントし、桃子ちゃんが清水さんのことを「お兄ちゃん」と呼んでいることを明らかにしました。

清水さんも、

僕も桃子ちゃんにとって、いい親父になろうと無理するよりも、友達として仲よくやっていきたい。桃子ちゃんと葉子との愛情の整理をする必要があるのかも知れませんが、今のところは別に考えてはいません。ゆくゆく、本人達が「会いたい」と言ったら、合わせてもいいと思います。

とコメントしました。

さらに大谷さんは、

私、結婚が大好きな女ですから結婚はしたいんです。結婚したら二人の子供をすぐにでも欲しい。ただ、お互い女優であり役者でしょ。清水さんは私にとって、もっともっと共演したい役者さんだし、そのためには夫婦でない方が幅が広がっていいと思うんです。それに、清水さんは孤独癖があるから、独りになりたいこともあるだろうし、離れていて会いたい時に会う方が、私自身も彼も精神的に安定するんじゃないかと思ったりして…

とも語ったのです。

一方の清水さんも、

僕は今、久我山の4畳半の木造アパートで1人暮らしなんだけど、この状態が気に入ってるんです。それで、彼女もここが好きなんですね。それには僕は、男女のスリリングな関係がとても好きなんですよ。あいつとあいつはデキてるんじゃないか、とか、もう同棲してるらしいよ、とかね。それで、もう少しこのままスリリングな部分を楽しみたいんです。

と婚約はしたものの、結婚はまだしないとの見解を見せたのです。

とは言え、二人は1979年にしっかりと結婚。
1985年7月11日には、二人の間には現在女優として活躍している華子(はなこ)さんが生まれました。

しかし、1994年に二人は離婚。
離婚理由は清水さんが演劇活動に私財を止め処なくつぎ込んだからからだと言われ、その後、大谷さんは1人で3人の子供を育てることになったのです。




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