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杉本公雄…熊谷幸子との馴れ初めと結婚式までを振り返る

目次




 

ロサンゼルス五輪(1984年)とソウル五輪(1988年)に出場し、特にソウル五輪ではキャプテンを務めた元バレーボール選手の「杉本公雄」さん。
そんな杉本さん(当時30歳)結婚したのは、1987年11月28日のことでした。

妻となったのは熊谷幸子さん(当時21歳)。
二人は高輪のホテルパシフィック東京で挙式したのですが、そんな二人の馴れ初めと結婚式はどのようなものだったのでしょうか。




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杉本公雄と熊谷幸子の結婚式

1987年11月28日に行われた杉本公雄さんと熊谷幸子さんの披露宴は、午後4時半から挙式と同じホテルパシフィック東京の「万葉の間」で行われました。
二人の晴れの門出を祝って、杉本さんと同じ富士フイルムバレー部の熊田康則さん、川合俊一さんら後輩と、幸子さんの友人など151名が出席したのです。

さらに、新郎新婦の晴れ姿を一目見ようと、約500人のファンが押しかけてホテルのロビーを完全占拠。
中には感動のあまり涙ぐんでいる女子大生もいたほどで、当時の杉本さんの人気のほどをうかがわせるシーンもありました。

仲人を務めたのは、全日本チームの小山勉監督夫妻です。
乾杯の後、富士フイルムバレー部の関係者や、新婦の幸子さんが結婚前まで勤務していた劇団四季の大島秀夫・営業本部長などがお祝いの挨拶を述べました。

この後、約5メートルのケーキカット。
それまでの文金高島田と羽織袴から、純白のウエディングドレスとタキシードへのお色直しと続きました。

そうして挨拶に立った幸子さんの神奈川県立百合丘高校時代の恩師が、スピーチの途中で突然、

今日は是非とも二人が愛し合う、キスの瞬間を見たいものです。

と発言し、出席者は大盛り上がり。
結局、皆に急き立てられ、幸子さんの頬にキスをすることになり、会場は拍手喝采となりました。

続いて、富士フイルムのバレー選手寮・縁寮の後輩が立ち、寮の卒業証書が続みあげます。

万年床と挨っぽい寮を出て、甘い新婚生活を送られることをここに祝福します。

などとユーモアたっぷりの文面に、出席者はまたまた大爆笑。
この後も後輩たちによるラッツ&スターのモノマネなどで盛り上がり、終了予定の7時半を大幅にオーバーする結婚式でした。

杉本公雄と熊谷幸子の馴れ初め

杉本公雄と熊谷幸子さんの出会いは、ロス五輪があった1984年の夏でした。
幸子さんは当時、親しい友人二人と連れ立って、神奈川県南足柄市にある富士フイルムの体育館に練習をしている杉本さんをよく見に行っていたのです。

次第に顔見知りになり、写真を一緒に撮ってもらうようになりました。
杉本さんも体育館などで顔が合うと、気軽に声をかけるようになったのです。

やがて幸子さんらは他の多くのファン同じように、緑寮にも顔を出すようになりました。
もちろん、玄関から出入りする選手を遠まきに見るだけでした。

この時の友人の一人で、幸子さんとは中学時代からの友人・小池美佐子さん(当時22歳)は、当時のこんなエピソードを話しています。

ある日、3人で縁寮に行ったら、庭でハトが死んでいたんです。可哀そうなので、私が庭に埋めてやりました。そして手を洗う所を探していたら、偶然に窓から杉本さんが顔を出して、なにしてるの?「手を洗うなら、ここで洗ったら?」と手洗い場まで案内してくれて、それから楽しくお話をしたこともあります

こうして幸子さんたちは杉本さんと次第に親しくなり、みんなで食事をしたり、豊島園に行ったりするようになりました。
そして翌年の1985年になって、杉本さんは幸子さんに、

オレ、そろそろ結婚費用を貯めようかな。

とポツリと言ったのです。
これが、杉本さんの達まわしのプロポーズでした。

当時、杉本さんは海外遠征に行くたびに必ずブランドもののおみやげを買って帰り、幸子さんにプレゼントしていたのです。
1986年の誕生日には、お互いにホイヤーの腕時計をプレゼントし合いました。

同時に、杉本さんと付き合うようになって、幸子さんも変わっていったと言います。
幸子さんと神田外語学院で一緒だったある友人は、

当時はお化粧もしていないで、中学生かと思ったほどでしたが ある時からお化粧をするようになって目に見えて綺麗になりました。多分、その年から杉本さんと交際されていたのでしょうね。

と語っています。

披露宴の終わりに、杉本さんは出席した人々に、

幸せで今は胸がいっぱいです。明るく元気な家庭を作りたいと思います。子供は9人制のバレーが出来るくらい欲しいですね。

とコメントしたのでした。




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