プロテストでは、当時の新記録(−8)を樹立してプロに転向。
賞金ランク最高位は日本ツアーの8位、数少ないレフティ(左打ち)のプロゴルファーとしても知られる「羽川豊」さん。
そんな羽川さんに婚約や結婚な話が持ち上がったのは1982年のことでした。
名前:羽川豊(はがわゆたか)
生年月日:1957年12月8日(61歳)
職業:プロゴルファー
出身:栃木県
学歴:専修大学
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父親・米豊さんの工場が閉鎖となり、その跡地にゴルフ練習場を作ったことが、ゴルフを始めるきっかけになった羽川豊さん。
プロ転向後の羽川さんは、同年代の湯原信光さんや倉本昌弘さんと共に、ゴルフ界のニューウェーブ三羽烏と呼ばれるほどの人気者でした。
1982年春に開催された世界4大ゴルフ大会の一つ「マスターズ」に青木功さんや中嶋悟さんと共に招待され、堂々15位に食い込んでいたのです。
アメリカの選手や関係者からも、「現役では最高のレフティだ」と絶賛され、まさに“世界の羽川”と呼ばれる日もそう遠くはないところまで来ていました。
そんな羽川さん(当時24歳)のハートをとらえたのが、松田恵子(まつだけいこ)さん(当時25歳)です。
東京・西武新宿線の下落合駅近くで、マンションと喫茶店を経営する豊茂さん・玲子さん夫婦の長女が恵子さんでした。
二人は同じ1957年の生まれ。
馴れ初めは、恵子さんが大妻女子短大在学中にゴルフ部に所属していた時、専修大学のゴルフ部にいた羽川さんがコーチに行ったことがきっかけでした。
その時以来、二人の交際が始まり、1978年に大妻女子短大を卒業した恵子さんは、語学の勉強のため、この年の8月から2年間アメリカに留学しています。
1980年に恵子さんは帰国しましたが、その年の春にまた渡米しました。
しかし、これは語学留学ではなく、羽川さんの「マスターズ」出場にタイミングを合わせたものだったのです。
アメリカのジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブにも恵子さんが現われ、得意の英語で羽川さんの通訳をかって出るなど、15位という見事な成績の陰の功労者となっていました。
「マスターズ」には羽川さんの両親も同行しており、羽川さんは恵子さんを両親に紹介しています。
一方、恵子さんの母親の玲子さんも二人の交際を温かく見守っている様子で、
具体的にそこまで(婚約)の話は聞いておりません。羽川さんには何度もお目にかかっていますし、さわやかで誠実で娘の交際相手として信頼できる方です。本人が帰国してから詳しい話があるとは思います。主人も反対ではございません。羽川さんの試合は一家で応援しています。
とコメントしたのです。
その後、羽川さんは「メモリアル・トーナメント」に出場し、ニューウェーブ三羽烏の一人、倉本さんが予選落ちする中、羽川さんはトータルで7オーバーで58位の成績でした。
この会場にも恵子さんの姿があったのです。
この年の秋には婚約に向けて動き出していた二人は結婚。
二人の間には一男一女が生まれています。
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