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田原俊彦…昔、紅白出場をドタキャンしたことがある?!




 

年末恒例の「NHK紅白歌合戦」は、1951年から大晦日に放送されている大型音楽番組です。
そんな紅白も、近年では、「トリ以外なら出場しない」(松山千春さん)や「興味がない」(スピッツ)、「おせち料理作りで忙しい」(松任谷由実さん)など、出場を辞退する人も少なくありません。

しかし、昔は紅白に出るのが夢だというミュージシャンも多く、彼らの最大の見せ場でもありました。
そんな風潮がまだまだ残る1988年に、前代未聞の紅白辞退を宣言したのが「田原俊彦」さんだったのです。

名前:田原俊彦(たはらとしひこ)
生年月日:1961年2月28日(58歳)
職業:歌手、俳優、タレント
所属:ジェイブレイブ
レーベル:ユニバーサルJ Prime Music
出身:山梨県甲府市
学歴:山梨県立甲府工業高等学校




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田原俊彦さん(当時27歳)のNHK紅白歌合戦の辞退が明らかになったのは、1988年12月13日のことでした。
紅白の曲目発表の際に、NHKの白崎音楽芸能部長(当時)が、

昨日、ポニーキャニオン(当時、田原さんが所属していたレコード会社)さんの方から、本人の意志もあるとのことで書面で辞退の申し出があり、受け取って了承しました。そこで今日、次点1位の男闘呼組の皆さんに交渉し、出演していただくことになりました。

と事情を説明したのです。

この2時間前に出場を知らされたばかりの男闘呼組のメンバーも会見に応じましたが、4人とも急なことで戸惑いを見せながらも、ロ々に「うれしい」を連発していました。

また、男闘呼組の岡本健一さんに、田原さんに対する質問が出ると、

トシちゃんの心境まではわかりません。僕達、代わりなんで大そうなことは言えませんが、他の人には譲れない、そんな感じで精一杯がんばります。

と答え、同じ事務所の大先輩の辞退を受けての出場に、責任と戸惑いを隠せない様子だったのです。

また、この発表の場ではポニーキャニオンを通して、注目の田原さんのコメントが紙面にて配られました。

今年(1988年)の紅白に僕を選んでくれたファンの皆様およびNHKに感謝しています。しかし、僕は今年の出場は辞退させていただきます。僕の気持ちの中では、昨年(1987年)の段階で「紅白」は卒業させていただいたと思っています。このような気持ちで出場しては、ファンの皆様、及びNHKに対してかえって失礼になる。ファンの皆様の期待を裏切ることになるかもしれませんが、これが僕の今の正直な気持ちです。一人のアーティストとしてだけではなく、男として頑なに自分の生き方を考える年になりました。来年(1989年)は28歳、デビューして10周年を迎えます。頑張って来年に臨みたいと思います。

とあったのです。

すでに、1987年の段階で卒業を決意していたという田原さんですが、曲目が発表されてからの辞退は、周囲に大きな影響を与えると共に、前代未聞のケースでもありました。
果たして、このギリギリの決断には何があったのでしょうか?

1980年から1986年まで、NHK紅白歌合戦に7年連続で出場していた田原さん。
しかし、1987年はシングルは「KID」やドラマ「ラジオびんびん物語」の主題歌「どうする?」など3枚が発売されていたものの落選しました。

この予想外の紅白落選を経験した直後、田原さんはこのような話をしているのです。

残念です。自分としては、映画、コンサートツアー、ドラマ、舞台、ミュージカル初トライと大変充実した1年でした。(紅白の件は)ファンの皆さんの期待に答えられなかったけれど、今年の締めくくりとしてミュージカル(「ACB」-恋の片道切符-)に全力投球しますのでよろしくお願いします。頑張るしかありません。

田原さん本人的には、1987年は充実した1年であり、ヒット曲も出していたことから、当然、今年も紅白に選ばれるだろうと思っていたはずです。
しかし、実際には紅白の選考にもれてしまったのです。

さらに、1988年に発売された「抱きしめてTONIGHT」が、ドラマ「教師びんびん物語」(フジテレビ系)が高視聴率であったことも受け、この曲も田原さんのヒット曲となっていました。

その結果、1988年末の紅白に選ばれることになるのですが、1987年の落選の報復をするかのように、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明することになったのです。

ちなみに、翌年の1989年にもドラマ「教師びんびん物語II」の主題歌「ごめんよ涙」がヒットしましたが、田原さんは二度と紅白に出場することはありませんでした。

過去に病気や不祥事などで曲目が発表された後に出場を辞退するケースは何度かありました。
しかし、「出たくない」という理由で発表後に辞退したのは、1970年の江利チエミさんと田原さんだけだったのです。

上述したように、松山千春さんや松任谷由実さんも辞退していますが、これらは曲目が発表される前の段階。
その意味でも、1988年の田原さんは紅白辞退は前代未聞の出来事だったのです。




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