愛称は「森繁(もりしげ)」。
西武ライオンズで活躍していた元プロ野球選手(投手)であり、ライオンズや中日ドラゴンズなどで監督・コーチとしても活躍していた野球解説者の「森繁和(もりしげかず)」さん。
そんな森さんが婚約発表したのは1980年のことでした。
お相手は当時25歳だった今村靖子さん。
果たして2人の馴れ初めとはどのようなものだったのでしょうか。
当時、西武ライオンズのミラクル劇を支えていた森繁和さん(当時25歳)が婚約したのは、シーズンオフの1980年11月30日のことでした。
挙式も東京プリンスホテルで行うことが決まっていました。
花嫁となるのは、当時は東京の平井に住んでいた元・大韓航空スチュワーデスだった今村靖子さん(当時25歳)。
2人の馴れ初めは、靖子さんがファンレターを出した1979年の初夏のこと。
森さんは1978年のドラフトで、1位指名されて入団した大物ルーキーでした。
ところが、1979年シーズンの西武は内野の守備が停滞ぎみ。
いくら投手陣が踏ん張っても足元をすくわれっぱなしの状態だったのです。
靖子さんは、いいピッチングをしているのに勝でない森さんの孤独なマウンド姿をテレビで見て、いたく感激して手紙を出したのでした。
手紙の内容が普通のファンレターと違っていたんだよね。
と語る森さん。
手紙には、
あなたは地上で野球に命を賭けている人。そして私は空の上で命を踏けています。
という文面でした。
返事は先発にリリーフと、絶えずベンチ入りする森さんには書けませんでしたが、靖子さんからのファンレターは続きました。
初めて2人が出会ったのは1979年6月のこと。
森さんが電話で後楽園球場に靖子さんを呼んだのです。
第一印象は「スラッとした背の高い子だなあ」という程度だったという森さん。
靖子さんを身近に感じるようになったのは、2度目のデートで所沢駅で待ち合わせた時。
ちびっ子ファンに2人とも囲まれ駅長室に逃げたんです。騒ぎに巻き込んだお詫びに食事をしたんですが、それ以来…。結婚したいと思うようになったのは、昨シーズン(1979年)のオフ近くになってからかな。
と語った森さん。
それ以来、2人は家族ぐるみの交際となり、正式にプロポーズもしました。
その(プロポーズ)文句が思い出せないんだよね。酔った勢いで言ったらしいんだけど。彼女はOKらしかったが、言葉はなかったと思うよ。
としきりに記憶にないと言う森さん。
靖子さんは、
プロポーズされる前に「今度、大事な話をする」と言われたんです。そして次のデートの時、昨年(1979年)の9月でした。バーで飲んでる時に、彼が「左手にどうして指輪がないの」と言うの。自分で買っても仕方ないからと答えると「左手にはめる指輪、僕があげたいんだけど…。僕はプロポーズをしているつもりだよ」と。私はだまってうなずきました。
とコメント。
1979年の5勝16敗7セーブから、このシーズンは10勝11敗6セーブ(婚約発表当時)と大活躍中だった森さん。
新婚旅行は南太平洋請島の予定で、新居はチームの先輩、田淵幸一さん宅前に新築中のマンションになる予定した。
森さんは子ども好きで靖子さんは、
30才までに男と女の子が欲しいわ。
とコメントし、理想の家庭は、
明るくて、お客がまた来たくなるような、田淵家のように明るい家庭。
と語った2人。
結婚して成績が落ちたら彼女がかわいそう。今シーズン以上に頑張る。
と宣言した森さんでした。
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