1982年から1988年まで活動していた“シブがき隊”。
メンバーは布川敏和さん(フッくん)、本木雅弘さん(モッくん)、薬丸裕英さん(ヤッくん)の3人です。
そんなシブがき隊の3人が交通事故に遭ったのは、1986年6月27日のことでした。
特にこの事故で薬丸さんだけが、全治1週間の怪我をしたのです。
名前:薬丸裕英(やくまるひろひで)
愛称:ヤッくん
生年月日:1966年2月19日(53歳)
職業:タレント、司会者
所属:オールラウンド
出生地:東京都武蔵野市
学歴:明治大学付属中野高等学校定時制(中退)
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1986年6月27日、この日シブがき隊は翌日に行なわれる「オールスター紅白水泳大会」(フジテレビ系列)に出演するため、会場の大磯ロングビーチに向かっていました。
3人の他に同乗者はマネージャーの石川昭裕さんと付き人の川口憲一さんです。
車は石川マネージャーが運転し、薬丸裕英さんが助手席、その後ろに布川敏和さんと本木雅弘さん、そして川口さんが乗っていました。
霞ヶ関から高速に乗り、車は赤坂方面に向かっていましたが、その途中、前方を走っていた大型冷凍車が、突然、目の前で急停車したのです。
時間は午後9時20分頃でした。
あっという間の出来事で、車は冷凍車の後部に激突…
車のフロントガラスは粉々に砕け、衝撃で壊れた部品が車内のあちこちに飛び散ったのです。
「ぶつかった瞬間は何が何だかわからなかった」と布川さん、そして「高速道路の事故で、あれくらいで済んだのは奇跡的」と本木さんが後に語っています。
シブがき隊の3人を始めとする5人の同乗者は、しばらくして到着した救急車で、そのまま六本木外科胃腸科病院へ運ばれました。
本木さんは肘、布川さんは足に軽い怪我、二人のスタッフもそれぞれ軽傷で済んだのですが、薬丸さんは後頸部捻挫、胸部打撲、右前腕部打撲などで全治1週間と診断され、その日はとうとう入院することになりました。
しかも、「車があと10キロスピードを出していたら足がなくなっていた」と言われたのです。
翌28日午後になって薬丸さんは退院したものの、当初に予定されていた水泳大会への参加は当然無理と判断され不参加。
助手席に乗ってたからこういうことになってしまったけど、大丈夫です。でも、僕はまるで当たり屋みたいですね。
と事故後に語った薬丸さん。
実はこの1年前の3月にも宙吊りのオートバイで落ちたり、同年1月には落下してきた鉄パイプが足に当たるというアクシデントがありました。
他の2人は何ともないのに、薬丸さんだけこれで3度目の事故だったのです。
ママ(母親の良子さん)に電話したら「いつもあなたね。お祓いしないとまずいわね」って言われました。今まで何もしないで助かってるんだから、このまま何もしない方がいいと言いましたけど。
と続けてコメントしています。
この事故で薬丸さんが軽い怪我で済んだのは、ちゃんとシートベルトをしていたからでした。
薬丸さん自身も、
もし、してなかったら、そのまま突っ込んじゃってたと言われました。今度ばかりはシートベルトの必要性がよくわかりましたね。
と語っています。
幸いなことに、後日行なわれた検査でも異常はなく、薬丸さんは事故後2日目の和歌山市でのコンサートから、いつものようにステージで歌い踊り、元気なところファンに披露しました。
怪我は不幸中の幸いに終わりましたが、薬丸さんは事故以来、ニ度と車の助手席には乗らないと決めたと言います。
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