歌舞伎界でも酒豪として有名であった初代・「尾上辰之助」さん。
しかし、このお酒が災いし、40歳の時に肝硬変による食道静脈瘤破裂のため亡くなっています。
そんな辰之助さん、実は亡くなる1年ほど前に妻の容子さんと離婚問題が勃発していました。
果たして、その真相はどのようなものだったのでしょうか。
名前:初代・尾上辰之助(おのえたつのすけ)
本名:藤間亨(ふじまとおる)
生年月日:1946年10月26日~1987年3月28日(享年40歳)
職業:俳優、歌舞伎役者
屋号:音羽屋
出身:東京
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初代・尾上辰之助さんと妻であった容子さんが結婚したのは1973年11月のことでした。
1975年2月には長男のあらし(現:四代目 尾上松緑)くんも生まれ、それ以来、ずっと歌舞伎界のおしどり夫婦と言われ続けていたのです。
そんな二人が突然、離婚を前提として別居に入ったという話が飛び出し、世間に衝撃が走りました。
果たして、離婚の原因は何だったのでしょうか。
その理由の一つに、辰之助さんの女性関係が挙げられました。
1973年の11月に挙式した時、辰之助さんは記者会見で、「浮気は結婚したらやめるつもりですか?」という記者からの冗談半分の質問に、
バレないようにやりますよ。
と答えています。
一見すると、単なるジョークにもとれるのですが…
辰之助さんの女性関係が別居の理由だという意見は多かったのです。
と言うのも、この一年前の1983年、水谷良重(現:ニ代目 水谷八重子)さんの自宅近くの交通事故から、辰之助さんとの不倫が発覚したことがありました。
発覚直後、辰之助さんはロサンゼルスの歌舞伎公演に参加するため、成田空港から飛び立ちましたが、この時も記者に、
彼女(良重)は恋人です。
とまで言い切っていたのです。
こうした言動が、容子さんが別居に踏み切る原因の一つになったのではないかと噂されたのです。
ただ、辰之助さんと水谷さんとの仲は、「すでに1983年の10月に清算されている」と証言も出ており、真偽のほどはわかりませんでした。
なぜなら、水谷さんとの関係が清算された後にも、辰之助さんに新しい恋人ができたという噂もあったからです。
一方で、容子さんの方にも、様々な噂がありました。
この年の3月は国立劇場、4月は大阪・新歌舞枝座と立て続けに仕事が入っていたのです。
容子さんは、すでに他界していた二代目・尾上松緑夫人に代わって、結婚後すぐに尾上家の女主人として、一家を切り盛りしていかなければならない立場にありました。
しかし、容子さんは派手なものを好み、高価な着物や宝石類を買い込むなど、保守的な梨園のしきたりにそぐわないという話もあったのです。
この年の1月、国立劇場で行われた二代目・松緑さん、辰之助さんの親子共演には姿を見せた容子さんでしたが、2月の初旬に容子さんが受けるはずだった日舞・藤間流の名取り試験には現れませんでした。
また2月17日、二代目・尾上松緑夫人の法要があった時も、容子さんは姿を見せなかったのです。
名取り試験はさておき、一家の大きな行事である法要に現れないという事実は、夫妻の溝が予想以上に深まっていることを示していました。
また、一般家庭の離婚と違い、歌舞伎の名門である尾上家の場合、襲名や跡目相続という問題があります。
長男のあらしくんは、すでに尾上左近という芸名でデビューしており、梨園の二世の間でも特に優秀だと言われていました。
そんなあらしくんにも、思わぬ影響が出た別居・離婚騒動だったのです。
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