1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、大人気アイドルグループであった「光GENJI」。
アイドル史上初めて東京ドームコンサートを行ったのも光GENJIです。
実はこの東京ドームコンサート終えた後、メンバーの「山本淳一」さんと「赤坂晃」さんが交通事故に遭っていたのです。
名前:山本淳一(やまもとじゅんいち)
生年月日:1972年2月28日(47歳)
職業:歌手、俳優、タレント
所属:WING RUN
出身:東京都八王子市
学歴:東京都立墨田工業高等学校
名前:赤坂晃(あかさかあきら)
生年月日:1973年5月8日(46歳)
職業:歌手、俳優
所属:GOLDSTAR
出身:東京
学歴:堀越高等学校
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事故が起こったのは1989年1月16日の午後9時42分のことです。
この日、光GENJIは東京ドームのコンサート2日目のステージを午後7時過ぎに終え、その足で当時は東京・麹町にあった日本テレビへ向かっていました。
理由は8時から生放送の「歌のトップテン」出演のためです。
この週のチャートでは1988年10月10日に発売された「剣の舞」が依然快調で第5位にランクインしていました。
さらにこの日は、ドームのコンサートを見に来れなかったファンのために、その報告もかねての出演だったのです。
番組では、諸星和己さんが全国のファンに、「終った今は寂しい気もしますが、精一杯頑張ったので清々しい気分です」と、未だに興奮冷めやらぬ表情で語りました。
そうして全員で「剣の舞」を歌ったのです。
東京ドームのコンサートにもまさる熱演に、 誰もがその後に起こるアクシデントを予想にしていませんでした。
放送を終えるとメンバーはタクシーでそれぞれ帰路に着きます。
家が同じ方向になる山本淳一さんと赤坂晃さんは、同乗して日本テレビから、新宿方面へ向いました。
そして新宿4丁目の交差点を渡ろうとした時、信号が変わり、タクシーは安全のためストップ。
そこに後ろから、タクシーが信号を突っ切るものと思った乗用車が追突したのです。
この事件を担当した四谷警察署によれば事故が起きた直後、当事者は現場から50メートルほど離れた交番に事件を届け出たと言います。
そうして大事をとって救急車が呼ばれ、山本さんと赤坂さんは近くの慶応病院の急患受付に運び込まれました。
慶応病院についたのは夜10時過ぎ。
当直の医師が診察にあたり、レントゲンなどの結果、全く異常なしとわかり、コンサートの疲れもあって、2人は30分ほどで帰宅したのです。
病院の診察の際にも2人はごく普通の様子で、表情も明るく足取りも確かで「念のために診察に来た」という感じだったと言います。
幸いにも、2人には大した怪我は見つからず、運転手同士も症状は重くはありませんでした。
しかし事故直後の現場には割れた車のライトの破片が生々しく散らばり、追突事故が決して軽微なものではなかったことが伺えたのです。
深夜でも交通量の多い場所だけに、大事故になった可能性もあったのです。
事故の翌日には山本さんと赤坂さんはいつも通り学校へ登校しました。
しかし、この事故の報道やファンの反応は想像以上で、騒ぎの大きさに2人は「びっくりしている」とコメントを出していたのです。
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