1977年にドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した元プロ野球選手の「鈴木康友」さん。
読売ジャイアンツの後は中日ドラゴンズや西武ライオンズを渡り歩き引退しています。
その後の鈴木さんは、監督やコーチを務めていました。
そんな鈴木さんは2017年夏頃から体調を崩し、2018年2月に「骨髄異形成症候群」と診断され、臍帯血移植を受けているのです。
果たして、鈴木さんが患った骨髄異形成症候群とはどのような病気だったのでしょうか?
名前:鈴木康友(すずきやすとも)
生年月日:1959年7月6日(59歳)
職業:元プロ野球選手、プロ野球コーチ、野球解説者
出身:奈良県五條市
学歴:天理高等学校
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鈴木康友さんが体調に違和感を覚えたきっかけは、息切れだったと言います。
当時、四国アイランドリーグplusの徳島でコーチをしていた鈴木さん。
7月頃になって久しぶりにノックをすると、すぐに息があがってしまいました。
それだけではなく、ちょっとした階段を上るのもゼーゼーと息切れてしまうのです。
最初は習慣化していたタバコが原因だと思った鈴木さんは、呼吸器系の病気を疑いました。
家族の勧めもあり、すぐに病院で血液検査をしてみると、「骨髄異形成症候群」とも呼ばれる難病であることがわかったのです。
検査の結果を聞いた鈴木さんは、目の前が真っ暗になりました。
骨髄異形成症候群は、「前白血病状態」や「くすぶり型白血病」などとも呼ばれる病気で、未だ完全には解明はされていません。
骨髄異形成症候群が発生する原因は、血液の幹細胞が異常を起こすことで、身体の血液成分全体に異常が発生するのだと考えられています。
骨髄が血液を造るという正常な働きをしなくなり、身体全体に正常な血液細胞を送り出せなくなるため、様々な身体の異常が発生すると言われているのです。
鈴木さんも診断結果を伝えた医師から「鈴木さん、よく立っていられますね」と驚かれたと言います。
病気が発覚した当時、ちょうど前期優勝を果たしていた徳島はプレーオフでした。
そして独立リーグ日本一をかけたグランドチャンピオンシップと大事な試合が続いていたのです。
骨髄異形成症候群は輸血をすれば身体が改善するということもあり、鈴木さんも2ヶ月や3ヵ月ごとの輸血で元気な身体を取り戻していました。
こうして輸血を受けながら、残りのシーズンもベンチで戦況を見守っていたのです。
ただ一方では、「この輸血を一生続けていくのか?」という悩みもありました。
医師からは完治するには移植しかないと言われていたのです。
しかし、完治するにはリスクがあるとも言われており、移植をするかどうか家族とも話し合いをしました。
病気を完治させるには「臍帯血移植」が必要だったのですが、医師からは移植をしても完治は4~5割の確率と告げられていたのです。
悩んだ末に鈴木さんは臍帯血移植を受けることに決めました。
臍帯血移植とは、臍帯血(胎盤の中に含まれる血液)に存在する造血幹細胞を白血病などの重篤な患者に移植して、骨髄機能を正常にする治療法のことです。
鈴木さんの手術には当時、2歳になっていた男の子が生まれた時の臍帯血が使われました。
今、僕はその子の血で生かされている。生まれ変わった気分です。実際、血液型もこれまでのO型からその子のA型に変わるんですよ。本当に新しい人生ですね。
と語った鈴木さん。
しかし、手術をした2018年の3月には、
体の中で戦争が起こってるような感じで辛かった。
本当に治るのかなと不安な毎日でした。
と本音を語っています。
85キロあった体重は一時、65キロ近くまで落ちました。
幸いなことに術後の経過は良好で検査の数値も正常に戻り、6月末には退院、秋からは仕事の復帰も許可されました。
こうして以前ほど体力は回復していないまでも、定期的な輸血をすることなく、普段通りの生活を取り戻すことができたのです。
最近では日本を代表する競泳女子の池江璃花子さんが2019年2月12日に、自身のツイッターで白血病と診断されたことを告白しています。
このコメントに対して、鈴木さんは
「どうして私がこんな病気に……」と後ろ向きにならず、現代医学を信じて「絶対に病気に勝つ」という強い気持ちでいてほしい。絶対に治りますから。
とコメントを届けていました
さらに、
自宅療養中に去年のパンパシフィック水泳とアジア大会で池江選手が大活躍する姿を見て、本当に勇気を与えてもらった。彼女はある意味で僕の恩人なんですよ。そして周りの人たちには、どうか治療に集中できるように「五輪、五輪」とプレッシャーをかけないでほしい。今闘うべきところは、そこではないのですから。
と語ったのです。
同じ境遇であった鈴木さんだからこその言葉でした。
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