第56代横綱で、引退後は年寄・間垣となった元大相撲力士の「(二代目)若乃花幹士」さん。
プライベートでは、師匠であった初代・若乃花親方の長女・幸子さんと結婚しています。
その後、二人は離婚することになるのですが…
果たして二人の結婚発表はどのようなものだったのでしょうか。
名前:二代目・若乃花幹士(わかのはなかんじ)
本名:下山勝則(しもやまかつのり)
生年月日:1953年4月3日(66歳)
職業:元大相撲力士
出身:青森県南津軽郡大鰐町
若乃花さんと幸子さんの結婚スケジュールは、1980年の5月場所の千秋楽の夜に、東京都杉並区阿佐ヶ谷の二子山部屋で行われた打上式の席上で、安西浩後援会長(当時:東京ガス会長)から発表されました。
その発表よると、5月27日に結納と婚約発表の記者会見が行われ、結婚式は、9月場所後の10月3日にホテルニューオータニで、安西会長夫妻の晩酌で行われることが明らかになったのです。
実はこの噂は若乃花(若三杉)さんが大関昇進(1977年1月場所後)前後から出ていました。
しかし、その当時は二子山部屋のガードが固く、親方も「若三杉の結婚?本人が綱を締めるまでは一切ない」と宣言していたのです。
そうして、1978年5月場所後に晴れて横綱昇進。
同時に親方の現役時代の四股名・若乃花を譲られたことで、いよいよ決まりかと思われのですが、若乃花さん本人が
10場所ぐらいやって、横綱としての安定した実績をあげてからでない結婚は考えられない。
とコメントしていました。
その間、幸子さんへもマスコミからの質問を受けていましたが、
横綱(あるいは大関)が中3で部屋に来てから、兄妹のように育てられ、未だに兄さんのような感情を持っているだけに結婚なんて考えられません。
とかわしていたのです。
皆、実際にはわかっていたのですが、決め手がありませんでした。
特に若乃花さんに至っては、安西会長からの発表直前になっても、
結婚?まだわからないよ。
とコメントしており、幸子さんもマスコミからの「おめでとう」には、
ありがとうございます。
と答えるものの、それ以上のことは語ることがありませんでした。
もう一人の当事者である二子山親方などは、
あいつは嫁に出すんだから俺には関係ない。
と屁理屈を言って、部屋から出て来なかったのです。
唯一、二人の結婚に関してコメントしたのが、幸子さんの母親で親方夫人の香代子さんでした。
今年(1980年)の初場所が横綱になって10場所目に当たりましたので、その後、安西会長を中心に煮詰めていき、今度のような手順が決まったわけです。私としても、やっとこれで肩の荷がおりたような感じです。何しろ足かけ4年越しの噂で、あれこれ書かれるのは人気がある証拠で仕方がないんですけど、女の方は苦しいですからね。もちろん、結婚したい気はあったし、私たちとしてもできるのなら結婚させたいと思ってはいましたけど、娘もまだ若かったし、ここ3年間ほどは辛かったようです。
と香代子さん。
さらに、
相撲取りのおかみさんとして大切なことは、土俵以外のことで夫に気を使わせないことと、後は夫の健康管理、この二つに尽きると思います。その点、うちの娘は小さい時から部屋の中で育ち、特に学校(共立女子短大)を卒業してからは部屋の手伝いをしてくれていて、私や親方の生活ぶりを見ていますから、何も教えなくてもその辺は肌で感じていると思います。特にうちの親方は、かなり古風でロやかましい方で、娘と言えども、食事の作り方から礼儀作法まで、気に入らないことは遠慮なく怒鳴りつけていましたから、そういう面でのおかみさん修行も一通り積んでいるんじゃないでしょうか。若いと言っても、私たちが結婚した時、親方は23でしたから、それに比べれば二人とも大人ですよ。特に、今年になってから幸子がとてもしっかりしてきたような気がしまして、そういう意味でも、ちょうど時期が熟してきたという気がしています。
とコメントしたのです。
安西会長も、
さっちゃんも横綱も子供の頃から知っているが、二人とも欠点のないのが欠点というほどの三国一の花婿花嫁だ。ただ、若乃花の場合、いい成績を残さないと結婚した意味がない。北の湖時代などと言わずに、この結婚を機に若乃花時代を作れというのが我々の願いだね。
と二人の結婚を絶賛していたのです。
さて、その後の二人ですが、しばらくすると別居状態になり、その後は離婚してしまいます。
そうして、若乃花さんは年上のホステスと再婚することになるのです。
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