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斉藤仁(柔道家)…元嫁・青沼まつ代との馴れ初めから結婚まで




 

1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪の柔道(95kg超級)の金メダリスト「斉藤仁」さん。
現役引退後、国士舘大学体育学部教授・柔道部監督や全日本代表監督を務めました。

そんな斉藤さん(当時29歳)は、1990年に当時OLをしていた青沼まつ代さん(当時28歳)と結婚しています。
二人の馴れ初めとはどのようなものだったのでしょうか。

名前:斉藤仁(さいとうひとし)
生年月日:1961年1月2日~2015年1月20日(享年54歳)
職業:柔道家
出身:青森県青森市
学歴:国士舘大学




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斉藤仁さんと青沼まつ代さんの馴れ初めは1985年に遡(さかのぼ)ります。
当時、東京・新島で民宿を経営していたまつ代さんの実家を友人の紹介で斎藤さんが訪れたことがきっかけで、二人の交際は始まりました。

とは言っても、その時は二人は会ってはいません。
まつ代さんは地元の都立新島高校から東京の大学に進み、都内でOL生活をしていたからです。

斎藤さんの友人がまつ代さんの兄と知り合いだったことから、東京で一人暮らしをしている娘の身を案じる両親の気持ちを知り、斉藤さんがまつ代さんのボディーガード役を引き受けたのが馴れ初めでした。

それ以来、東京でのデートが続き、新島のまつ代さんの実家へも二人で何度も足を運び、いつの間にかカップルのようになっていたのです。
その後も交際は5年ほど続き、二人は結納も済ませ、挙式までに至りました。

ロサンゼルスとソウルのオリンピックで連続金メダルに輝いていた斎藤さんでしたが、挙式の一年前の1989年3月に現役を引退。
当時は母校・国士館大学の柔道部の監督を務めていました。
結婚を控えた3月末には世田谷区内のアパートから、国士館の近くに転居したばかりだったのです。

一方のまつ代さんは、友人たちの間では「ちっちゃなマッチャン」のニックネームがあったように、身長153センチの小柄な女性でしたが、高校時代はバレーボール部で活躍。
学校の成績もトップクラスで、しっかり者という性格からクラスの人望を集め、高校1年生の時にはクラス委員も務めていました。

また、まつ代さんの実家は、新島本村で木材店を経営しており、父親の政治さんがとても几帳面な人で、近所の評判も上々だったのです。

こうして身長180センチ、153キロのジャンボな斉藤さんと、身長153センチのまつ代さんという正反対の体型をしたカップルは、1990年6月29日に東京・西新宿のホテル・センチュリーハイアットで結婚式を挙げました。
ちなみにこの日は当時、秋篠宮文仁親王・礼宮(あやのみや)様と紀子様の結婚の儀(結婚式)と同じ日でありました。




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