代表曲は「木綿のハンカチーフ」。
“学園祭の女王”の異名を取った最初の歌手でもあるシンガーソングライターの「太田裕美」さん。
そんな太田さんが、当時、渡辺プロダクションで音楽出版のディレクターだった福岡智彦さんと結婚したのは1985年のことでした。
実はこの結婚は前々から決まっていたのですが、延期されていたのです。
名前:太田裕美(おおたひろみ)
本名:福岡弘美(ふくおかひろみ)
生年月日:1955年1月20日(64歳)
職業:シンガーソングライター
所属:ボイスアンドリズム
レーベル:Boundee
出生地:東京都荒川区
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小説も書くシンガーソングライター、太田裕美さん(当時29歳)の結婚の話題が出たのは1984年のことでした。
お相手は太田さんが所属していた渡辺プロダクションで、当時、音楽出版のディレクターをしていた福岡智彦(当時27歳)さんです。
実は「太田さんの結婚が近い」という噂は、その当時から芸能界で飛びかっていました。
太田さん自身もファンとの対談で、こんなことを言っていたからです。
「28歳(対談時の年齢)にもなって一人でいると、他人の目が普通じゃないんだよね…」
これまで結婚について、あまり積極的でなかった太田さんのコメントに、これはかなり具体的な話が出るのでは?と皆が期待していたのです。
すぐに太田さんの周辺で取材合戦が始まり、彼女の担当ディレクターで独身の福岡さんの名前があがりました。
二人を良く知る関係者からも、
ああ、彼なら裕美と一緒に、正月、春日部の裕美の実家へ行ってるよ。 結婚?うーん、少なくとも話し合いがされたのは間違いないと思うけどね。
というようなコメントも出ていたのです。
あまり派手なファッションは好まず、黒っぽい地味な服装をしている好青年というのが、福岡さんの評判でした。
真面目な福岡さんが太田さんと一緒に実家へ行ったとなれば、まさに結婚は近いと取材合戦にもさらに熱が入ったのです。
ただ、1984年1月16日、インタビューに応じた太田さんの父・弘さんは残念そうにこう話しました。
結婚が近いかって?いや、延期だよ。今年はないね。3年先に決まったよ。結納?してない、してない。去年(1983年)の幕れ、ママと娘の二人の間で、そんな話がついたと聞いている。延期で嬉しいけど別に反対してるんじゃないよ。娘の幸せのためなら大賛成だよ。詳いことはママに聞いてくれよ。
すぐに、ママこと太田さんの母・定子さんのコメントに注目が集まりました。
えー!誰から聞かれたんですか。確かに決まっておりますが、会社の方からあんまりロ外しないようにと言われておりますので、ごめんなさい。
と、何も具体的な話は出なかったのです。
ちなみに、太田さんの両親は当時、埼玉県春日部市で工場と「大寿司」という寿司屋を経営していました。
そのため取材合戦はあっちて言ったり、こっちへ行ったりの大忙しだったのです。
さて、話は戻って1983年の暮れの話し合いで、なぜ二人の結婚が延期になったのでしょうか?
実は太田さん、ニューヨーク生活(1982年に歌手活動を一時休業して、8カ月間ニューヨークに単身留学していた)で考え方が一変し、ものすごく行動的な女性になっていたのです。
そこから歌い方も、今までがおとなし過ぎたと感じるぐらい過激になり、髪もショートにして、すっかり変身しました。
しかも1984年は、「ステージ活動を思いっきり充実させていく!」と宣言していたのです。
言うなれば、この年を“勝負の年”にしたいと考えていました。
そんな時期に結婚を発表すると、ファン離れにつながってしまうと考えたのです。
太田さん自身もファンとの対談で、
男の子の場合は、やっぱり私が結婚するとファンを離れていくっていうのがあるのかなぁ。
と心配していました。
とは言え、福岡さんと縁を切ったわけではなく、結婚をあくまで延期しただけで、二人はこの翌年の1985年1月26日に結婚しています。
結婚式の仲人は愛川欽也さんとうつみ宮土理さん夫妻で、延期は父・弘さんが言っていた3年ではなく、1年後に前倒しされました。
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