漫才コンビB&B(ビーアンドビー)のボケ担当・「島田洋七」さん。
著書「佐賀のがばいばあちゃん」も有名ですよね。
そんな島田洋七さん…
実は過去に水虫の薬と目薬を間違えて使用し、失明の危機を体験したことがあったのです。
名前:島田洋七(しまだようしち)
本名:徳永昭広(とくながあきひろ)
生年月日:1950年2月10日(69歳)
職業:漫才師、タレント、作家
所属:オスカープロモーション
出身:広島県広島市中区白島九軒町
学歴:広島工業大学
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事故が起きたのは、1981年5月21日夜9時半頃のことでした。
この日、島田洋七さんは東京の赤坂プリンスホテルのバーで、テレビ番組制作プロダクション「日企」の赤尾健一さんと番組の打ち合わせをしていたのです。
島田洋七さんは近視で右目が0.08、左目が0.1の視力。
日頃、テレビライトを当てられるので、いつも目薬を持ち歩いていました。
話も一段落したので目薬を入れようと、カバンの中をゴソゴソ…
けれども、バーは照明が薄暗い場所でした。
手探りでいつもの円筒型の容器を取り出して、左目に差した途端…
「ギャーッ!」と叫んで、ボックスにつっ伏したのです。
なんと、たまたま足の小指が水虫になり、治療のために使っていた水虫の薬を目に差してしまったのです。
ウエイターに水をもらって洗いましたが激痛は消えません。
急いで洗面所に行き流水で洗い流しました。
しかし、そんなことで痛みはおさまりません。
この事故に赤尾さんもビックリしましたが、とにかく一刻も早く救急病院へ運ぶのが先決と、赤尾さんの車で新宿の東京医科大学病院に向かいました。
その後、3日に1度の割合でお茶の水の順天堂大学医学部付属医院で治療の日々を送ることになったのです。
やっと、視力が0.06まで回復してきたところですよ。(事故の)当日は痛くて眠られず、このまま失明するのではと思ったほど。その後の2~3日は、失明したらタレントを辞めなきゃいけへんかと悩んだよ。
と語った島田洋七さん。
実は島田洋七さんは事故の3日前に新宿でお好み焼き屋「洋ちゃん」をオープンしたばかり。
一生、お好み焼き屋の大将で終わるのかと悩んだよ。
ともコメントしていました。
しかしながら、当時は引く手あまたの売れっ子だったB&B(ビーアンドビー)。
翌日には眼帯をしてテレビに出演し、早速ギャグに使っていました。
「水虫の薬を目薬と間違えたんや」言うても誰も信用してくれへん。ただ笑うだけや。
と話す島田洋七さんは右目だけでは距離感がつかめず、公開番組では舞台を通りこして、裏方のスタッフのところまで行ってしまうというようなこともありました。
その後は中和する薬と洗浄する目薬を差して過ごしていた島田洋七さん。
まだ目の奥がうずくんや。 目の粘膜がただれたのか、瞼(まぶた)を閉じるとザラザラした感じでね。あと1回くらい病院へ行けばいいと思うんだけど…
とも話していたのです。
実は当時、容器が似ていることもあってか、目薬と水虫薬を間違える人が多かったのだと言います。
この頃はだいぶ少なくなっていたそうですが、酷い場合は視力障害になる可能性もあるようですが、ほとんどの場合は治るそうです。
島田洋七さんの場合はすぐ洗い流したという応急処置が功を奏したのでした。
「なんで右目にも差さんかったのかいな」と言うものもいれば 、俺を水虫患者みたいにいうのもおる。けど、水虫はもう完全に治っとったんだ。カバンに入れといたんが間違いのもとやった。
と語った島田洋七さん。
けれども事故以来、お酒を断って仕事が終わったら真っすぐ家に帰るようになったとか。
いつも遊んで帰ってて忘れていたが、こういう時、家庭はエエもんですなあ。
としみじみ感じていたとも言います。
まさに、これも怪我の功名と言えるのかもしれません。
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