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太田博之…監禁・強要の容疑で逮捕されていた?!




 

子役として映画やテレビドラマで活躍し、黄金バットや怪物くんなどを連載していた「少年画報」の2代目表紙モデルも務めた「太田博之」さん。
その後も青春映画や時代劇などを中心に活動していましたが、1976年の映画「スリランカの愛と別れ」(東宝)を最後に芸能界を引退しています。

引退後の太田さんは寿司チェーン店「小銭すし」を創業するなど実業家として活動していましたが、1986年に監禁・強要の容疑で逮捕されるという事件が起きました。

名前:太田博之(おおたひろゆき)
生年月日:1947年11月25日(71歳)
職業:元俳優、実業家、モデル
出身:静岡県
学歴:立正大学(中退)




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事件に際し被害届を出したのは、 神奈川県に住む太田博之さん(当時38歳)の知人のAさん(当時37歳)でした。
Aさんは、過去に太田さんから2億9千万円の借金をしていたのです。

十数回にわたってそれを返済したものの、その時に請求された利子が高過ぎると、1984年9月にAさんは太田さんを相手取り、3千500万円の“過払金返還計求訴訟”を起こしました。

つまり、太田さんが請求した利子は不当に高いから、払い過ぎた分を返せと訴えたのです。
これが事件の発端でした。

太田さんが逮捕されることになった事件は、それからおよそ半年後の1985年3月27日に起こったとされています。
その日の夕方5時頃、太田さんは東京都世田谷区成城の自宅近くにあった自ら経営する不動産会社「小銭ハウジング」にAさんを呼びつけ、1時間にわたって、鍵をかけたままAさんを監禁したと言います。

そうして太田さんは、訴訟取り下げ書にサインするよう強要したとのことでした。
強要の段階で、「僕がどういう人間と付き合ってるか知ってるだろう」とも言ったそうです。

数日後、Aさんはいったん訴えを取り下げるものの、1986年始めになって、今度は監禁と強要の被害届けを東京都港区の水上署に提出。
取り調べの結果、5日の午後8時40分に太田さんの逮捕となったのです。

太田さんは1947年生まれで芸能界には子役としてデビュー。
天才の名を欲しいままにし、1975年には歌手デビューも果たして、青春スターの仲間入りをしましたが、1977年に突然引退しています。

「芸能界より男としてかけるものがある」という名セリフを残して、寿司チェーン店の「小銭すし」の経営者となり、当時は不動産業や金融業にも手を伸ばしていました。
その頃は成城に不動産を20件ほど所有していたとも言われ、成城の豪邸にはロールスロイスが4台もあり、まさに実業家として大成功を収めていたのです。

こうして芸能人から青年実業家への華麗な転身をした太田さんが、なぜそのような悪どい所業に及んだのか?、またAさんとはどういう人物で、なぜ1年も後に被害届けを提出したのか?
まさに謎は謎を呼ぶ事件でした。

ただ当時、太田さん側がこの事件の容疑内容を否認しています。
「訴訟は双方納得の上で取り下げている。監禁とか強要の事実はいっさいない」と、太田さんは供述しました。

1985年3月8日以降に、太田さんとAさんが電話で話したテープもあり、それも和気あいあいとした内容だったとか。
太田さんの事業が急成長する過程で様々なトラブルがあり、事件の背景には、そこでドロップアウトした人たちが絡んでいるのではないか?という声も出たのです。

太田さんは逮捕から半月ほど拘留され、釈放されました。
釈放はこれ以上の拘留の理由がなくなり、訴追に十分な証拠がそろわなかったために取られた措置で、いわば処分保留の状態でした。

太田さんはすぐに記者会見を開きます。
冒頭で事件に対する反論ではなく、「再出発の誓い」をするために会見を開いたと説明しました。
また、この日の太田さんは反省の意志を示そうと坊主頭にしていたのです。

記者から今の気持ちを聞かれた太田さんは、

自分自身の人間性、考え方に対して価値観が変わりました。今回の件は私自身の人間性の欠陥、いたらなさが引き起こしたものではないかと深く反省しています。

と答えました

また、容疑事実に関しては、

確かに仕事に対する行き過ぎはあったと思います。脱タレントで成功し、出世したのは自分だけだという、肩ヒジ張った部分がありましたからね。ただ、言いたいことは全て警察、検察に話してあります。

と語ったのです。

太田さんの弁護士・江口英彦弁護士からは、

Aさんとの交渉の過程で説得はあった。その行為をどう評価するかに意見の相違があったということです。

と太田さんの発言に解説を加えました。

最後に今回のトラブルの元になった金融業をどうするかと聞かれた太田さんは、

2~3人の友人にお金は貸してありますが…

と言葉を濁して会見は30分ほどで終了したのです。

さて、最近の太田さんですが、この逮捕やバブルの影響もあってか実業があまりうまくはいかなかったようで、現在はアパレルメーカーのカタログモデルなどで活動しているとのことです。




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